Unmanned展・雑記

2018.04.28 Saturday

 

 

 

 

 

気づけばUnmanned展の最終日から一ヶ月経過してた。
ということは「日本昔ばなし」のワンシーンのようなあの打ち上げからも一ヶ月経ったことになる。
もう、ずっとむかぁしむかしの出来事のような気がしてしまう。

 

昨年10月、展示場所の下見を兼ねて大井川鐵道無人駅とその周辺をバスに乗って巡った。
展覧会を企画をしている NPOクロスメディアしまだ の方たちと地元アーティストたちが醸し出す、
どこかのんびり朗らかな雰囲気が印象的だった。
そんな雰囲気に私も図々しく便乗して、
あまりやったことがないことをやらせてもらおう。
と、帰りの新幹線で思った。

 

年の瀬も迫った12月あたり、
「地のものを作品の材料に使いたいんですが、土とか何か、譲ってもらえる材料とかないですかね?」
と聞いたところ、
「土ありましたよ。7トン。」
と、返事が来た。

7〜8年前、新東名のトンネル工事の際、偶然出て来た志都呂の陶土をあるところに保管しているという。
訳あって、そのままずっと置きっぱなしになっているから是非使ってくださいとのこと。
(栗ヶ岳トンネルあたりの土かな?と勝手に想像してるけど、確認とってません。あしからず)

 

土がわたしを呼んだのかあ。
と、いい気になって土を焼いて作品を制作することに決めた。
年が明けてから、NPOスタッフの皆さん、陶芸作家の前田さんと打ち合わせ。
わたしが普段の制作で使用しているのは油粘土。(浪人時代は水粘土。笑)
陶芸は大学生のときにやったくらいで、知ったかぶりできる知識すらない。
そんなわたしを相手に説明してくれた前田先生の忍耐には頭がさがる。

 

まずは土を触らないと始まらないので、次の週には土を取りに保管場所へ。
NPOのOさんと一緒にブルーシートで覆われた小山をスコップで掘り起こし、
土嚢袋5つ分を滞在場所であるヌクリハウスに運び、

2階の和室で怖いもの知らずの制作が始まった。

 

ところが、というか早速。

最初の芯材を使う制作プランが失敗に終わる。
陶土の収縮率(10%〜15%)は聞いていたはずなのに、イメージできていたなかった。
最初の一週間でやったことを、次の週には壊してはじめからやり直すことに。
芯材から引っぱがした粘土をもう一度練る。

土嚢袋から追加の陶土を取り出して、ゴミを取っては練り、ゴミを取っては練りの繰り返し。
すぐに4、5日が過ぎる。
いやあ、土の中には実にいろいろなものが入っていますね・・。(回想)

 

そして手首から腕、首まで、酷い筋肉痛になる。
たいがいの筋肉痛には驚かないけど、中年になって眠れないほどの筋肉痛なんて経験無い。
それでもこの時期のヌクリハウスには他の参加アーティスト(西田さん、ユカさん、木村さん)も滞在していて、
毎晩の和やかな夕食が気を紛らわせてくれていた。

もし一人だったら考えすぎて沈んでいたかもしれない。
抜里の夜のはそのくらい深い。

 

次の週は吹っ切れて晴れやかな気分で再度成形に入った。
(その前に前田先生に大迷惑な電話相談をしているけどそこは割愛。お恥ずかしいので)
作っているあいだ、とても楽しかった。
前の週、練りをしていた自分に感謝。
筋肉痛はあっても、スタイロや樹脂を使っているときの身体に感じるストレスは無い。
掘って出てきた土と水だけ、というシンプルな素材に、いろいろ考えさせたれた。

その後、乾燥〜焼きを経て、9体の作品が完成。
9体のあちらこちらに、自分だけが昔から知っている、人に知られたくないダメなところがにじみ出てるな。
と、神尾駅で設置をしながら思った。

 

 

「地蔵まえ」というタイトルの「まえ」は、front ではなく、beforeとかpreviousの「まえ」。

 

これまで自分が作ってきた「作品」と言い訳している物体は、パブリックだ地域だ共存だと謳って謳われてを繰り返しているけど、結局、地蔵の存在を超えられるのかい?

という疑念。

 

それどころか鼻で笑われるような存在だとしても、謎の制作衝動を自嘲したくはないから ”来た” ものは作るしかないよねー。

虚しくてもねー。あははー。

という開き直り。

 

だいぶ長い時間この二つの間をうろうろしている気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家に持ち帰った土あり〼