記憶の記憶
2015.08.22 Saturday
思い返せばもう二ヶ月以上前のこと。
イシグロ氏の新作を発売後すぐに読んだ。
さらに講演会にも応募して行ってきた。(スキップしながら)
著者のインタビュー記事や動画はネットのなかに多数あるけど、
直接 “はなし声” を聞いたり “はなし仕草” を見ていると、言葉が印象に残る。
つくづく贅沢な時間だった。
『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ (訳:土屋政雄)
タイトルにある “巨人” は、個人を含む社会や国家が持つ、忘れがたい記憶を意味している。
「その巨人を掘り起こす(思い出す)のか、それとも埋めた(忘れた)ままにしておくのか?」
これが作品紹介の記事などでリリースされるオモテの問いだとしたら、
「あなたのいる社会では巨人をちゃんとコントロールできているのか?」
というのが、時間差でじわじわと迫ってくるウラの問い。
これまでの作品と同様に「記憶は捏造する(される)」というテーマが、しっかり効いてくる。
(実際、プロモーションで各国を訪れるたび「あなたの国の“忘れられた巨人”は何ですか?」と質問するらしい)
著者はこの作品を書いたきっかけとして、
90年代にヨーロッパに住んでいた頃に起きたボスニアやコソボ、ルワンダでの内戦を挙げていた。
(とてもショックな出来事だった・・・と。)
そして世界中で起きている(起きてしまった)あらゆる政治的な問題の要因に “過去の記憶” があるのではないか。とも語った。
「個人の問題としてだけではなく、社会や国家といった大きな考え(視点)を持ちたい」という思いが、
三人称+複数の語り手、そしてファンタジーという手法にたどり着かせたのだという。
大きな物語。
最後のシーンでずっと気になっていることがあるんだけど。。
誰かー。
誰かー。