春よこい

2015.03.27 Friday


この春、10年ぶりにカズオ・イシグロの新刊が出るそう。
なので唯一、未読だった「充たされざる者」(訳・古賀林幸)を読むことにした。
楽しみな予定に合わせ、だいぶ早めに前乗りする感じで。

手の大きな私でも、持ちにくい厚さと重さ。
何度が落としそうになったし、携帯するのもなかなか大変。
厚さが35mmもあると、わたくしのポシェットには入りませんの。
驚かされるのはその重厚な佇まいだけではなく、内容もしかり。

ざっくり言えば・・・
主人公の男性 ライダーは著名なピアニスト。彼は演奏のため、とあるヨーロッパの街へ降り立つ。
彼を初めて見る街の人たちは「ライダーさま」と敬意を込めて呼びかける。
歓迎されているのは確かだが・・・どうしてこの人たちは・・・
という話。

オーソドックスな物語の始まりに “のほほん” としていると、いつのまにか奇妙な世界に引き摺り込まれている。
物語が進み、不安と戸惑いを通り過ぎ、夢遊しているような感覚になってきたころ、読者の頭にふと浮かぶ。
「あ。ライダーは私か。」
私の話じゃないのに、知っているような不気味さと、自分で自分の体内を巡っているような怖さがある。

にもかかわらず、中盤を過ぎたころにはすっかり居心地が良くなっている。
「たしかに。そうかもしれない。」と腑に落ちる。
何がよ?と問われると困るんだけど。


たとえば。
昨日見た映画と、先月読んだ小説と、さっき友達から聞いた噂話と、目の前のニュース映像は、
それぞれ全く違うんだからつなぎ合わせても辻褄は合わない。
というのも現実だけど、

意識だか無意識の深い深い海の底で決議されたやんごとなき理由により、
まったく違う出来事がいつのまにかつなぎ合わされ、
その際生じてしまったズレは自動的に調整され(あるいはズレたままでも)なんやかやと
うまいことやりくりして記憶は平然と蓄積されてゆく。
というのも現実。

両者のあいだに在るわたし。


ストーリーはシュールだけど、主人公と共有した感覚はとてもリアルなものだった。
そして著者の意地悪センスはとても高度なものだった。



 



 
読まれます?
ちゃんとこちら側へ戻ってこれるといいのですが。





 

 

卒業式はありません

2015.03.08 Sunday


今年度最後のこどもアートコースは、『春はどこでもひるね』です。
もふもふしたものでまふまふしたものを作りました。

前回とうってかわって、少人数。
参加2度目の姫は前回よりリラックスできたみたい。
かといって静かな授業だったかというとそうではなく、
天才的お調子者の王子に爆笑させて頂きました。
は〜ぁ。腹いたい。
・・・腰も痛いのに。

ということで、
参加してくれたみなさま、まりこ先生、みのり先生、スタッフのみなさま、
一年間ありがとうございました。

毎回の授業のたび、感心させられ、諭されたことは
みんなの頭のなかは、毎秒すごいスピードで拡張しているのだなぁ。ということ。
「ぼく、それやりたい!」と
「ぼく、それどころじゃない!」がもう組んず解れつのぐるんぐるんでばったばた・・
みんなの発想の面白さはそのへんに詰まっているような気がしました。

面白いものたくさん見せてくれてありがとう。




泣いたりしません・・・



 
 
だって来年度も続くんだもーん。


よろしくな!


さとうりさ

 
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