シンパイ・スパイラル
2014.08.16 Saturday
昨年、リチャード・パワーズ『幸福の遺伝子』の翻訳が出版されたので秋ぐらいに読んだ。
(原書は『Generosity: An Enhancement』2009年)
邦題だとまるで “ベタな喩え” と誤解されそうだけど、文学界の理工学系博士・パワーズの作品なので心配しなくて大丈夫。
シカゴの大学で講師を勤めるラッセルは、うだうだと悩みつづける元作家。
ある日、彼のクラスにアルジェリア出身のベルベル人、タッサという女生徒が現れる。
祖国で悲惨な体験をして逃げるようにカナダへやってきたという生い立ちとはうらはらに、タッサは常に幸せそうにしている。
彼女の周りにいる人々まで陽気な気分にさせてしまう。
やがてクラスメイトたちはタッサを「ミス・ジェネロシティー(包容力)」と呼ぶようになる。
一方、講師であるラッセルは、タッサが振りまいているウィルス性多幸感の存在に疑問を持ち始める。
そして恐る恐る結論づける。
彼女は「感情高揚性気質(スーパーサイミア)」ではないか、と。
幸福であり続けることのできる “遺伝子” は徐々に、世間へ晒されていく。
というあらすじ。
そして、たまにモヤモヤ現れる「この物語は誰のものか」という謎は、いつものパワーズフレーバー。
SF(的)小説といえば、“現代の絶望をいちはやく嗅ぎ取り、そこから発生する未来への憂いを描く” というイメージがある。
プロの心配性(作家)による誇大妄想。
(ヴォネガットの皮肉な 「イヒヒ感」、デリーロの眼圧強めな「ギラギラ感」、ピンチョン楽団の「メタメタ(meta)感」、パワーズ博士のアタマ良過ぎて緻密過ぎちゃう「ミチミチ感」などなど・・・それぞれ心配のしかたが違うけど。)
今回のパワーズ作品は、これまでの作品と比べるとだいぶ読みやすく仕上げているように感じる。
読んでいるあいだ、こんな感じ。
・ ・・チノパンにTシャツ、チェックのボタンダウンを着たパワーズ博士。(すべて洗いざらし)
履き慣れたスニーカー、背中にはサック、ポケットにじゃら銭、手ぶらでてくてく歩いている。
開いたシャツの裾をヒラヒラと風になびかせ、軽やかに進む博士。
その背中を、必至になって追う私。
途中、博士はこちらの存在を思い出したように、何度か立ち止まってくれる。
「ん?」と振り返った顔にはちょっと困ったような笑みを浮かべている。
こちらがしっかり追いついたのを確認すると、すぐさまくるりと向き直り、てくてくてく・・・
こんな感じで最後まで読者に付き合ってくれる。
人間味あふれるパワーズ博士は、読者のことも以前に増して心配するようになったのかもしれない。
彼は昔、インタビューのなかで「僕の書く作品はどんどん暗くなっている。」と語っていた。
もう10年以上前の記事だから、その後どうなって、今はどう感じているのかわからない。
暗くてもなんでも、博士がやりたいようにやれているのかなぁ。
思い切りやれているといいなぁ。
ファンはファンで心配なのだ。
「ん?」