メダムK その5

2011.10.28 Friday

 


いよいよ今年の黄金町バザールの会期も残すところ10日となりました。
メダムKとのお別れのときが近づいています。
10月16日から始まった共同作業 ”Golden Hour"も、あと2回。

10月30日と11月6日 14:00~16:00。
おひとり3分ほどで終ります。気軽にお立ち寄りください。

こうしてみなさんと一緒に手塩にかけて...展覧会終了後、メダムKはどこに行くのでしょうか。
星のみぞ知る。


お待ちしております。



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入れ過ぎてしまった塩は、そう簡単に抜けません。気を付けて。    マダムR


 


グレースケール

2011.10.25 Tuesday

 


晴れた日には「・・・せねば」とプレッシャーを感じるし、雨がふれば予定変更をせまられ鬱陶しいし、それを予感させる厚い曇天もしかり。


グレースケールBK8前後の曇りの日が、実はいちばん好きなのかもしれません。


はしゃがず、憂えず、なんでもない日。顔文字で言うと (・_・) ですかね。


 


そういった日に散歩していると、堀江敏幸さんの『郊外へ』を携帯し、RER(高速郊外鉄道)を乗り継ぎ、パリ郊外のcentre d’art(アートセンター)を訪ねるという口実で、終日ぶらぶらしていた日々を思い出します。車内の臭い、壊された改札、誰もいない展覧会、もうバゲットしか作らないパン屋。


と、曇り空。


一日中、何時だかわからないような薄曇りの日には、何処にいるのかもわからなくなりがちです。


 


当時の私にとっての堀江作品(とくに『郊外へ』『子午線を求めて』)は、「現実と妄想とが偶然に繋がり、時代や空間がねじれ、いつのまにか奇妙な場所に“ぽつん”と立っている自分」に会える本。


長めのセンテンスが作る独特のリズムは、まったりと気分を落ち着かせ、まさしく私好みの薄曇りに似ており、そんな空の下、自分のことを知る人が誰一人いない街をさまよう自分の姿が、文中に何度も浮かんでは消えてゆくのです。(←僭越ながら長めセンテンスをマネてみました)


そして引用されるたくさんのフランス文学、作家、映画、美術、歴史、etc. はフランスへの興味を放射状にぐいぐい広げてくれます。それら引用をたどる楽しさは数年経った今でも色褪せることなく、私の読書計画に影響を与え続けています。


 


ただ今、世間的には旅行の季節らしく「パリに行ったらどこにいけばいい?」と、よく聞かれますが、まずはフランス知的地図として堀江作品の携帯をお薦めしたいと思います。


 


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柏餅

2011.10.20 Thursday

 


ここのバナーになっている「かげもしゃ」は、パブリックアートですから誰でも自由に見ることができるんですよ。


つくばエキスプレス「柏の葉キャンパス」駅から徒歩5分です。


 


今年の7月「パークシティー柏の葉キャンパス二番街」のマンションが竣工、そこに整備されたアート作品もほぼ設置完了しています。(私はまだ作業が残ってますが)


参加されている作家さんは20名弱いますので、天気のいい日にゆっくり探して回ると楽しいと思います。


さて、「かげもしゃ」は全部で何体あるでしょうか?


 


たぶん最初の公開プレゼンが2007年秋。


4年の間に、異動などで関係者の方々の顔ぶれも少しずつ変わってきました。


昨日もいちばん長いあいだ担当されていた方の送別会があり、ちょっびっとシンミリでしたね。


 


昨夜の懐かし話も手伝い、「よし、このプロジェクトが4年間どんなふうに進んできたか、この場で紹介しよう!」


と、朝っぱらから初期のラフプランや言葉が描かれているネタ帳を探してみたのですが出てきませんでした。この4年のあいだにも、やっぱり引っ越しがあったので(2回も!)遠くの倉庫にしまっちゃったみたいです。...はぁ。


というわけで今日は覚え書きまで。


 


 


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み、み、みんなおもちみたいにくっついてぷっくらしたらいいよ (by の子)


 


 


メダムK (その4)

2011.10.17 Monday

 


(→つづき)


そんなことを思い浮かべながら制作に入った。


自分が勝手に溜め込んだ妄想をカタチにしただけだとしても、やっぱり黄金町ではデリケートな口調になってしまう。「過去を賞賛しているんじゃ?」と勘違いされたりもする。仕方がない。でも私のほうも、いつも本気で「わからない」し、「迷って」いるし、ひとつも結論持ちあわせない作家としてやってきたのだから仕方がない。できる事があるとすれば、妄想の力を借りて物事の見方や考え方、迷い方のバージョンをひとつ増やすことぐらい。(...つっても簡単なことじゃないけど)


デリケートなテーマなら、面倒くさがらずデリケートに持ち運び続ければいいわけで。


 


マッシブであること、すべて手縫いであること、触れる・乗れる仕様であること。そこらへんにこだわったのも、本気モードのあらわれ。「か〜わ〜い〜?」と一蹴されないようなサイズにする。というのも重要だった。そうやってだんだん具体的な要素が出始めてくるときって、すごく楽しいんだよね。明け方、車道を自転車で飛ばしてるときみたいだよ。


大モノを作るときは必ず「触れられる」ことを考える。だって、自分が触りたいし、抱きつきたいから。自分が触りたいものを作って「うわぁ、やっぱいいわぁ」と自画自賛して、次に他の人にも触ってもらって「どう?いいでしょう?」とニヤニヤする。そう、自慢。


「触れる」って行為は、全ての人に公平な気がする。なんだか広々してる感じがいいじゃん。


 


ここまで書いてはみたものの、作家の言葉なんて完全に飛び越えちゃう作品でなければならないの。ぱーん!と。


私の意図しないところで、見た人それぞれの体内で何かが新しく始まったらいい。勘違いも、思い過ごしも、それが圧倒的ならいいよね。


いずれ作家の言葉は消えて、身体も消えて、作品だけが残る。   はずだから。


 


どうでもいいけど、はやく見にきなさい。


 


おやすみ〜。



 



 


(おわり)


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入り口広く、出口は狭く。     ...出口があったらの話だぜ。


 


 


メダムK (その3)

2011.10.13 Thursday

 


(→つづき)


まず私にとっての娼婦像の大部分は、読んできた小説や見てきた映画から出来ている。そこでの彼女達は出番こそ少ないけど、股で俗世を読み取っているがごとく達観していて、どっしりと頼もしい。例によって生きることに迷い悩んでいる主人公たちは、彼女達や彼女達を取り囲む環境に触れ、何かを学び取り、地べたを這うようにほんの少し前進する。物語のなかで語られる、そういった彼女達の役割を、“癒し”で片付けてしまうには、あまりにも平べったくて味気ない。かといって適当な言葉がまだ見つかっていないのも事実。引き続き探してみるけどね。今は“やわらかい影”って言葉を使って説明したりしてるんだけど。悪くないよね。「高架下の陰に潜む、やわらかい影」


言っておきたいのは、いま話した娼婦像はあくまでもフィクションの世界から取り出してきたソースで、それがそのまま黄金町にも当てはまるとは思ってないし、リサーチして証明しようとも思わない。娼婦という職業を俯瞰して見ようとしたときに、想像し得る、ひとつのちいさな側面。その側面を拡大解釈しようと思ったってこと。


 


あと、パリのとなりモントイユに住んでた頃、何度か中国系娼婦に間違えられた。そのとき感じた、この職業の日常性。フランス人の友人が言うには、彼女達はノーメイクにTシャツ、ジーンズ、サンダル、長い髪をひとつにしばって、街を歩き回りながら客を引きするのが常らしい。私まったく同じ格好してた。


メトロの中やお店の中で値段を聞かれたときは、相手の表情や言葉が迫ってくるようで、すごく怖かった。でもそれより怖いのは自分の?気さ。だって、それがある種の交渉だと解るまで「あれ?ワシ、ナンパされてるのん?」とか思っちゃってるんだから。世界基準わかってないって、怖いよ。


 


最後にもうひとつ。昔、海外で各国の風俗を回っているっていう人に会った。その人が彼女達との行為を「深い森」とか「海での素潜り」に喩えてたの。実はこの言葉、前からずっとひっかかってて、たまに思い出すんだよね。だから模型の段階から、それも盛り込んじゃった。いま、展示されている現物の「メダムK」もこれから11月6日の展示終了に向けて、大自然へ昇華させてやろうって企んでる。


「夜の空」に。


 


(つづく→)


 


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球とは超多面体なのか、超多点体なのか。    どうでもいいか。寝てしまえ。