学生たちが自宅を抜け出せてよかった。
久しぶりに乗った上越新幹線では
あ、山がもりもり。
あ、雲がもこもこ。
あら、稲って特色だったっけ?
車窓を眺めながら、この一年でドット抜けしつつあったメージを補填。
以前はボンヤリとこなしていたルーティンを効率的に集約させることで
遜色のないパフォーマンスをあなたに!
(何言ってんだ)
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関係者の皆様、大変な作業をありがとうございました。
この先何度も励まされそうです。
アーティスティック・ディレクターであるラクス・メディア・コレクティヴとキュレーターがオンラインで会場を歩いたドキュメントとなっています。
詳細、ご購入はこちらから
電子版英語はオンライン公開されています
(右:冊子版日本語 左:冊子版英語)
(追記_2021.7)
記録集も完成しました。
こちらは日本語版、英語版ともにオンライン公開されています。
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今年の『UNMANNED無人駅の芸術祭大井川/2021』は終了いたしました。
みなさまありがとうございました。
昨年に続き様々な制限のなかにあっても開催できたこと、参加できたことが嬉しかった。
同時に、行くたびにPCR検査を受けている状況に複雑な気持ちになった。
「抜里のみなさんとの制作から湧きでる雰囲気」と「検査とその背景」が、あまりにかけ離れていているように感じ、
頭を切り替えるのに、もたもたしてしまう時があった。
そいういった継ぎ目のような空白時間が瞬間だったり数日だったりで存在していた。
でもそれは何か新しいことのために追加されたストレージだと思いたい。
今年も友人を引き連れての案内ツアーは叶わなかったけど、そのぶん抜里エキスを濃いめに抽出できたと思います。
迷惑かしらんけど(爆)
抜里エキスについてご興味がある方は、期間限定のブログ 縫い合わせ日誌(地蔵まえ4)にいらしてください。
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11月以降は展覧会をたくさん見に行った。
誰かの作った何かを見ていると心が休まる。という時期がある。(休まらない時期もある)
印象深かったのは康さんの展覧会。
オペラシティギャラリーで初めて見たときから好きだったのでとても残念に思う。
お会いしたことはなかったけど、作品をよく目にしていたから、なんというか近い距離感が勝手にあった。
人生にこういった寂しさがあることに思いがけず気付かされて、戸惑ってしまう。
作品と展示会場を囲む景色が戸惑う来場者たちをどうにかしてくれていた。
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コンセプト文を書いていると、どうしても険しい顔になってしまう。
言い切ることから回避したいからでしょうね。
今日はそう思っても、明日になったら気が変わっているかもしれない。
なので程よくボンヤリさせておきたい。
その点、対話での作品説明であれば苦にならない。
すぐに補足ができるし、逸れた寄り道が思いもよらず相互理解の手助けになったりする。
典型的なコンセプト文から逃れるために、手紙のかたちをとったり、ショートストーリーに置き換えたこともある。
そうすれば書き手と読み手との、緩めの歩み寄りが叶えられるんじゃない?と思ったから。
コンセプト文におけるリラックス状態。それを求めるのは無意味なのか。
いや、これまでいくつも出てきた「もっとこうだったらいいのに」は、制作のモチベーションとなってきた。
小さく地道に試していく。
さて。
作品「双つの樹」のプランは、2019年11月からのインド滞在中、毎日思い巡らせていた。
その時に読んでいた小説と現地で出会った人々や風景から多くの要素を得た。
さらに付け加えると、そのひと月前に受けた目の手術も大きく影響している。
手術自体は簡単なものだったけれど、人生で初めて失明について考えさせられた。
あまりに突然の出来事で、想像してみようとしてもいつのまにか呆然としてしまう。怖いのだ。
見えることは当たり前ではない、そう頭で理解していたつもりで、実際は全く人ごととしか考えていなかったということだ。
そういった時期にインドに滞在できたのはラッキーなタイミングだった。
そこには過酷さもありながら、常にゆったりとした時間が存在していて、ごちゃごちゃとした不安を吸い込んでどこかへ吹き飛ばしてくれる寛容さがあった。
帰国後、すぐに「次はケララに行こう」と思っていた。
なのに世界はあっという間に変わってしまった。
はたして、次はいつになるのか。
2020年4月に担当キュレーターに送ったテキストをコピペしておきます。
今回の場合はつらつらとメモしていたことをまとめ、コンセプトとしています。
つまり
私(たち)は他者との繋がりを可視化してはまた違う他者に見せてをやっているけど、それってどうなんだろう?
コミュニケーションって何?
見せるって?
見えるって?
始まりはいつも疑うことから。
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《タイトル》
双つの樹
《コンセプト》
目を凝らすのをやめたとき、見えてくる関係性がある
その繋がりは無限に枝分かれして私たちの日常に存在しているはずだ
身体のなかに、記憶のなかに、そして土の中にも
このかたちもまた、新たな繋がりの発端になり得るだろうか
《制作メモ》
・作品制作のきっかけ
原生林の樹々たちは、種を残すには森全体の新陳代謝が不可欠であることを知っている。
森の健康を保つためなら、種を超えて生命に有効な情報を送り合う。
その繋がりが最も密集しているのが地中で、樹々の根は「脳」として認識され始めている。
そのことを知り、出てきた問いが制作の動機となっています。
人間にとって、表層には見えてこないが生命に有効な繋がりとは何なのか。またそれは作品で表現できるのか?
生物として数万年も先輩の樹々。その傍らで、彼らが送ってきた壮大な時間を思うだけで、ゆったりと安らかな気持ちになれる。
そのあたりに、問いに対してのヒントが隠されているのかもしれないと思い、今回の作品に至っています。
・タイトルについて
樹と人間を暗喩として繋げるために、このタイトルにしました。
(頭を寄せた人間にも見える/神話や物語を連想させる「〜の〜」)
最初に思いついたきっかけはインドのラールバーグ植物園で出会った、大きな双子の樹です。(添付画像)
また、“樹”だと言いつつ、緑色を使わなかった理由は、「そのままを見る(見せる)」のを回避するためです。
人々の頭の中(記憶)や、目の中(残像)で青と黄色が混ざり合えば、より逞しい緑になるのではないか。という少々強引な思い込みによります。
2020.4.27
さとうりさ
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プロット48の《黄》《青》《橙》と
横浜美術館の《白》は
地中で繋がっていたのです
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その1
「The Best Public Art of 2020」に、横浜トリエンナーレ2020の3作品
イヴァナ・フランケ《予期せぬ共鳴》
ファーミング・アーキテクツ 《空間の連立》
さとうりさ《双つの樹(黄、青)》が選ばれました。
その2
「ヨコハマトリエンナーレ2020」企画として参加作家のさとうりささんと子どものアトリエが、
この夏、みなとみらい本町小学校で行ったワークショップの様子が映像でご覧いただけます!
https://youtube.com/watch?v=Ha-h7D-TCfA&feature=youtu.be
もしかしてその3
横浜トリエンナーレ2020バーチャルツアーはまだ見れます。
嬉しいです。
みなさま、感謝です。。
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そう、まだ新型コロナウィルスの猛威なんて想像もしていなかった頃。
年明け2020年2月には過去に作った作品で屋外展示のシミュレーション。
3月からはほぼ毎日、制作のために徒歩で通った。
みなとみらい大通りは日に日に閑散としていったのでした。
ヨコトリが開けてからは作品の点検・修理と、見に来てくれた友人の案内のために通った。
そして10月後半に撤収が完了し、私のPLOTレジデンスが終了した。
昔々、ヤングだった私は
「倉庫のような広大なアトリエを持てるようになりたいな(キラキラ)」と夢みていた。
それが期間限定で叶ったのでした。
コロナ禍で。
延べ床面積約18,000?にひとり、それはそれはエキサイティングな制作体験だった。
そう、誰の目も気にしなくていい、自撮り天国。
3月。まだぎこちない。いろいろ不安な日々。
この写真の3週間前、他の展示の設営で静岡に泊まった夜、
「(ヨコトリ作品は)どうがんばっても間に合わなくね??」と考え始めてしまい、一睡もできなかった。
(眠れないことが滅多に無いのでよく覚えている)
開催までの日数と4つの作品の作業量を考えていたら、苦しくなってしまったのだ。
お手伝いのボランティアスタッフの募集は無理そう。と、なった頃。
4月上旬。
物体が見えてきたことで「進めてれば大丈夫。」と開き直る。
具体的なスケジュールが見えてきた。ことにした。
毎日10時〜18時の制作時間を中心に、生活のルーティンも定まってきた頃。
4月下旬。
1つ目のバルーンの初・膨らましテスト。
本番もここで展示しようぜ!と、はしゃいでぐるぐる。(りさ犬)
自分だけ別の星に生きているような気がしてきた頃。
5月中旬。
2つ目の初テスト。
この子は丈夫で安定感がある。
私もイメージ通り跳べている。(?)
テラスでの展示シミュレーションも始めた頃。
6月上旬。
3つ目の初・テスト。
この子は、まあぁぁぁぁぁあ可ぁ愛ぁいぃ。
アイドル。
散乱するハギレまでキレイで作業場が明るくなる。
本番に向けてしなくてはならないテストと決断がいろいろ。
同じくPLOTでの展示作家、エレナ・ノックス、飯川雄大もそれぞれ『情熱惑星PLOT』な頃。(敬称略)
7月上旬。
4つ目の完成時。
絞り出すように出てきた末っ子。
こちらの溜まりに溜まった疲労をよそに、天真爛漫で誰からも愛される子パターン。
針を持つ人差し指の皮、すでに2回剥けてカチカチの頃。
以上、制作記の一部をお送りしました。
最後に自撮りを始めた頃のものを・・・っていうか、ビデオからとはいえ画質が。笑
三脚の傾きを気にしてるな。
自撮り史。
↑
2代目・レオ様
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横浜トリエンナーレ2020、撤収完了。
いつも撤収は準備にかかった時間よりずっと短い。
凝縮されているせいか、なんとも切なく、それでいて晴れやかで、ほぇ〜とした時間が過ぎる。
その「ほぇ〜」の部分に話したいことがぎっしり詰まっている気がするが、まったく何も無い気もする。
片付けられる資材を目にしながら展示を振り返る。
次に関わるであろうまだ見ぬ誰かとの未来を想像する。
このふたつを交互に考えているから、みんな穏やかないい顔をしている。
いや、単純に肩の荷が降りてよく眠れてるからか。
いやいや違うね。
全身全霊でやりきった素晴らしい展覧会だったから。
猛烈に似合うの知ってるから言わなくてだいじょぶ。
欲しいー。
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横浜トリエンナーレ2020でも、当初予定されていた数多くのワークショップやイベントが中止になってしまった。
私の場合、子供たちを対象にしたワークショップを複数の場所で実施するはずだった。
春先あたりまでは諦めムードが漂っていたけど、
夏に近づくにつれ「いやいや、何か方法はあるよ。考えよう。できることをやろう」というムードになり、
感染予防のガイドラインに沿って、さらに「こうすれば安全かも?」「このほうが安心かも?」と策を加えては話し合った。
結局、回数はぐっと減ってしまったものの、2箇所で実施できることに。
もうこれはトリエンナーレが云々、周知が云々、ということではなく
「ピカピカの人類(子供たち)が退屈そうだ!どうにかしなくては!うぉぉお!」
という、私たち古めの人類の叫びが基盤にあったように思う。
叫んではいないけど大げさではない。
ひとつ目は横浜美術館のご近所、みなとみらい本町小学校。
横浜美術館こどものアトリエ(通称:子アト)のみなさんと現地へ出向き、
横浜トリエンナーレと私の作品の説明したあと、過去に制作したバルーン作品を膨らまして彼らに体験してもらった。
併せて2018年に富山県美術館でやった「角風船ワークショップ」を実施。
学内での感染対策は徹底されているし、先生方は事前の打合せも積極的に参加してくれ、参考になるお話しもたくさん聞くことができた。何から何まで大変お世話になった。
後日、校舎での作品展示まで。
みなさま、ありがとうございました。
みなとみらい本町小学校【学校日記】
横浜美術館【子アト通信】
ふたつ目は黄金町エリアマネージメントさんと金沢区の並木ラボ(シーサイド名店会アーケード内)へ。
こちらでは2012年に群馬近代美術館でやった「まんじゅうまんだらワークショップ」を実施。
アーケード商店街の屋外に机を配置し、参加者の滞在時間を短かく設定することにこだわった。
(ウォークスルー方式といえばいいのか)
多くの親子連れが参加してくれたおかげで、100個ちかくのまんじゅうが棚に並んだ。
金沢区をよく知るスーパーサポーターの方々にお世話になりました。
みなさま、ありがとうございました。
まんじゅう作りも終盤に入った頃、なんと20年ぶりの再会をした。大学の同級生が息子と旦那さんを連れて現れたのだ。
今、いつ???
と、妙な感じに変な汗でてきた。笑
すごく嬉しかったよありがとう。
初秋の西陽が差す商店街に同級生。
大林作品だよ。
坂は無いけど。
え!
入れ替わった?
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期間は10月6日(火)18:00 から11日(日)23:59まで。
※10日と11日のみの上映作品もアリ。
また先月末からはバーチャルツアーも始まっている。
3つの各会場を見てまわることができるので是非訪れて欲しい。
◯横浜美術館 【PCから】、【タブレット・スマートフォンから】
◯PLOT48 【PCから】、【タブレット・スマートフォンから】
◯日本郵船歴史博物館 【PCから】、【タブレット・スマートフォンから】
私は台風消滅のための祈祷をしている
(撮影:キムネー)
※本日10月8日16時以降、この作品は強風のため撤去しています
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「AFTERGLOW−光の破片をつかまえる」というタイトルのもと、
独学・発光・友情・ケア・毒 という、5つのキーワードを掲げている。
友人に「今回のヨコトリのテーマって?」と聞かれたりすると、サクッとひと言で答えられない。
でも、サクッと答えられないということ自体も彼らのディレクションの特色であるのではないかと思っているので、
「えーと・・・」と言いながらボソボソ説明している。
キュレーションは「テーマ」ではなく「ソース」から発想するという、ラクス。
この「ソースブック」を読むと彼らが示す「光」がどういうものか、窺い知ることができる。
昨年の11月末、PLOT48で開催された「エピソード00 ソースの共有」で公開され、来日していたラクスによって解説された。
そのころ私はレジデンス先のインドでこのソースブックを読んでいて、その状態を面白く感じていた。
横浜から遠く離れたインドで、インドから遠く離れた横浜に滞在している彼らの「光」を読もうとしている…状態。
違う時代、違う場所で生まれた書物から抜粋され収められた5つの資料は、こちらに思考の自由を予感させてくれる。
数ヶ月後に開催されるトリエンナーレの鑑賞者と参加作家たちに「解釈」の自由をあらかじめ確保してくれているようでもある。
(そして共感したソースを掘り進める楽しみもみつけた)
各々が作品を「目撃」しながら「思考」し、共に「語り合い」、その重なり合いが「茂み」を作り、いずれその茂みは横浜トリエンナーレの「世界観」となっていく。
と、説明できるととってもスッキリする。
各作品に添えられているキャプションの文章は、ラクスの意向に基づき、同チームのシュヴェタ・サルダが執筆している。
この詩的表現にも、鑑賞者の思考を誘発し、より深い茂みを生むために「つかまえさせない」意図が読み取れる。
なので友人に「キャプション、あれどういう意味?」という質問には、ラクスの執筆していることの意図を説明してから、自分のコンセプトや制作経緯を説明する。
そのたびに私は自分の作品に対して改めて思考することになる。
そうやって日々茂り続けている。
🌳🌳🌳
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(「追い作品」とは「追い鰹」的に書いただけなので流してね)
+ - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + -
まずはパフォーマンス。
◯パフォーマンス
体操選手によるパフォーマンスを公開/タウス・マハチェヴァ《目標の定量的無限性》
9月12日(土)、9月16日(水)、9月26日(土)、10月3日(土)、10月10日(土)
いずれも14:00〜と14:45〜の1日2回開催。
パフォーマンスは1回23分程度予定。
タウス・マハチェヴァ《目標の定量的無限性》は美術館の有料エリアでのインスタレーション作品で、
設置された体操器具と複数のスピーカーからの音声で構成されている。
今からだとあと3回、パフォーマンスを見るチャンスがあります。
パフォーマンスにあの音声がかぶってくるのがすごく良い。
+ - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + -
2019年11月より始まっているエピソードの展示もいくつか
◯展示
エピソード05
・刷音
日程:8月21日(金)〜10月11日(日)
会場:プロット48 休憩ラウンジ(無料エリア)
刷音(シュアイン)は2018年から活動している40名のクリエーター集団。
展示と併せてYoutubeを見るのをお勧めしたい。
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◯展示
エピソード07
・イシュ・シュヘラーワト(イシュ・S)
・ヴェンザ・クリスト
日程:9月16日(水)〜9月27日(日)※9/17および9/24は休場
会場:横浜美術館レクチャーホール
入場:無料
昨日見てきました。
途中で人が増えたので、また時間があったら行きたい。(と思ったら27日までだ!)
サウンド系ですが、自分以外の鑑賞者が少なければ少ないほど浸れる交信系でもある。
Episōdo07 Sound Reasons Online Walkthrough
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◯展示、オンライン
エピソード08
・田村友一郎
日程:10月1日(木)〜10月11日(日)※10/1はオンラインのみ
会場:オンライン、横浜美術館
※詳細は後日公開予定
詳細はこれから。
田村さん独特の “ 繋ぎ技 ” が楽しみ。
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《An Octagon and a Square - II》Ish S
《Evolution Of The Unknown #06》 Venzha Christ
(オイキムチのオイは胡瓜)
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※会期最後の木曜日(10月8日)は無休、開場してます。
休場日、会場内の各所でメンテナンスが行われている。
上映機材、電動の作品をはじめ、人体に触れるものなどあれこれを整えなくてはならず、
スタッフと施工業者さんがぐるぐる回っている。
私も毎週木曜日はバルーン作品の補修や補強、固定のためのロープやサーキュレーターの仕様を改善するのに忙しい。
毎朝空気を入れて、毎晩空気を抜いてを繰り返してもらっているので、改良できそうなことは面倒でもやってみる。
「ちょっと改善したらすごく使い勝手がよくなった」ということがあるのであなどれない。
作品も道具(機材)も、放っておかれると拗ねる。
言うこときかなくなったり、無愛想になったり。
お世話してあげた後は、どことなくにこにこ健やかに見えて、こちらもスッキリした気分になる。
そのためにやっているところも大きい。
回り回って自分のメンテナンスでもあるのかもしれない。
あと、無事を祈るおまじない的な意味もアリ。
モノも人も、ちゃんと気にかけてあげないとね!
と、まとめようと思ったけど、人のほうが断然...大変かも。笑
拗ねたあと余計なことするから。爆
写真はPLOT48内にある倉庫を利用した、私の作業場。白くて長〜い部屋。
8月の木曜日は午前中にメンテナンス、午後は長岡造形大学のZoom授業に参加していた。
これはレクチャーの日。
Virtual Insanityごっこでき〼
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今年のチケットは有効期限が1日なので、どれを全編見てどれを流し見するか、などと考えている人もいるんじゃないかな。
公式サイトにあげられているこの映像作品上映時間一覧を参考にするといいかも。
映像作品を一度にたくさん見れないタチなので、今でも通いながら見ている。
個人的にはPLOT48の作品全般に愛着がある。
なかでも映像作品では、私が作業現場にしていたPLOT48の3階で上映されているアントン・ヴィドクルとジェン・ボー。
数週間、施工の工程を見ていたし調整中の音声をずっと聞いていたから。
アントン・ヴィドクルはロシア宇宙主義をテーマにした3部作のうちの1本《これが宇宙である/2014》と、
東京で撮影された新作《宇宙市民/2019》の2本を交互に上映している。
ロシア宇宙主義に関して翻訳されている資料は少ないうえ、コロナ禍の影響も手伝って注目度が高い。
午後はだいたい混んでいるからお目当てにしている人は早い時間にどうぞ。
ジェン・ボーは、《シダ性愛》、《擬似交接》の2作品がひとつの大型スクリーンの両面で同時上映されている。
まず映像と音声の迫力?というか刺激が強い。
のちに、シダの歴史的背景を知ったときに想像させられる人間の生態...という刺激がじわじわ。
前述の一覧を確認したら、まだ全部見てなかった。(!)
数年後、私が彼らの作品に再会し、音声(あの歌、あの声)を聞いたら今年のヨコトリを鮮明に思い出すんだろうな。
そしてもうひとつ。
2階で上映されているレヌ・サヴァントの《ミリャでの数カ月》。
231分のドキュメント映像で、1日に2回しか上映されない。
インドのマハーラーシュトラ州のミリャにある村の人々の日常を綴った作品で、愚痴や喧嘩、葬式やお祝い、病気の話や井戸端会議がまぜこぜに現れては消える。もちろん牛も。
人々の自然な姿を見ていると、どんな佇まいで撮影していたのかとても気になる。
撮っている彼女を誰か撮って見せてほしい。
私はヨコトリが開催してからPLOTで用事があった日は、だいたいこの作品を30分くらい見てから帰る。
適当に見始めるから、すでに見たシーンをまた見るわけだけど全く気にならない。
最近では私のBangaloreの記憶と徐々に混ざりはじめ、個人的体験の一部になりつつある。
8月の猛暑日、黄昏時にこの作品を見ながらダラーっとしていた時間が私の夏の思い出。
いいよね。
作品とのそういう関係。
アントンさんのTシャツが欲しい
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横浜トリエンナーレ2020も残すところあと20日くらいになってしまった。
もうエネルギー残量ないんだけど、仮想でどうにか駆け抜けたい。
そのためにも何か思いついたら書いておこうと思う。
私の作品は全部で4点ある。
一つは美術館で、あとの3点は別会場であるPLOT48に展示されている。
けど、屋外展示のため風の強い日は出ていない。
友人知人から「こないだPLOT行ったけど、りさのなかったー」とたまに言われる。
そんなあなた。
もし、再び別の用事で近所に来ることがあったら寄ってほしい。
PLOTの中庭はチケットなしで入れるから。
👁👁マークのあたりがビューポイント。
※北棟(North Wing)と南棟(South Wing)に入るにはチケットが必要です。
※飯川雄大さんの作品もチケットいらないんだけど、予約が必要です。
そして、少し離れた「みなとみらい大通り」にもビューポイントが。
村田製作所のエントランスからよく見える。
そりゃわたしだってみんなを作品があるテラスに入れてあげたいよ
誰だと思っているの
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8月は暑くてやること多くてきつかった。みなさん大丈夫でしょうか。
そろそろ、こちらを更新していくつもりです。
(6月に一度長文を書いているけど未公開になっていた。なんか考えていたのかしら?)
テキトーな近況
・最近はオンラインづいているからか、耳が痛いです。ヘッドフォンに変えるべきでしょうか。
・今年の前半、制作中の動画をたくさん撮りまして、こちらに載せたいのですがジュゲムは無理なようです。何がいいのかな。
・学生のための素材レクチャー用に寒天を使ったら、以来ハマってしまい、いよいよ憧れの“煮こごり”に挑戦かもしれません。ま、いわゆる注型樹脂的概念です。(知らんがな)
・先週末、疲労困憊だったのに私的定番作家の小説が面白くて気分が軽くなった。結局、どのジャンルでも同時代を生きる好きな作家の作品が何より滋養になる。だからみんな身体を大事にして長生きして作品制作を続けて欲しい。私のために。(真面目)
大おやすみなさい。 (おやすみなさい の最上級)
さよなら8月。
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様子を気にしてくれた方々もありがとう。
初めて体験する制限のなかで、スタッフ、アーティストともに戸惑うこともあったけど、
楽しく和む時間もたくさんありました。
親戚付き合いのようで、ふとした時に思い出しては励まされているよ。
作品については改めてまとめたいと思ってます。
それまで今年の展示のYoutueb動画を見て来年のために予習しておいてください。笑
私は来年、出展してても観客でも、周辺の非公式ドライブコースに詳しくなりたい。(カモシカ遭遇コース)
そして友人知人を連れ回してワーワー言いたい。
ケットラで。
・・・あなたたち荷台ね。
無人駅の芸術祭事務局 さんより
静岡県文化プログラム公式チャンネル さんより
これは撤収の日のヒデミ・ニシダ作品。
良かったよねぇ。。。
またひとつ歳を取ったら会いましょう
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昨年10月末、パワーズさまの新作の翻訳が出たのでバンガロールへ連れて行った。
滞在先である集合住宅12号棟11階、ちょっと前まで子供部屋として使われていた一室で、トイストーリーズのエイリアンがたくさんプリントされたピンクの布団にくるまって、毎晩すこしずつ続きを読むのが楽しみだった。
6人目の登場人物がインド系少年だとわかったとき「これは私のための小説内現実じゃないか!」と足をバタバタさせた。
そして毎日、大学から自宅まで大きな樹々を見ながら帰った。
「オーバーストーリー」 リチャード・パワーズ 木原善彦 訳
4つの章(根/幹/樹冠/種子)からなる、樹木についての小説。
最初の「根」では、9人(8組)の登場人物の人生が順番に語られる。
それぞれの人生のなかで生まれた、木との関係性がどれも魅力的で一気に引き込まれていく。
ある者は正面から向かい合い、ある者は意味もわからず引き寄せられ、ある者は長いあいだその存在に気付かない。
「幹」以降、9つの人生は徐々に入り混じり、よじれ、タイトルどうり樹冠のように生い茂っていく。
環境保護(主に原始林保護)をテーマにした群像劇。というありきたりの括りではなんだか物足りない。
もっと奥のほうに、抽象的な何か、皮膚感覚に訴えるような何かがある。
それは一体何なんだろう。
今回も例にもれず、パワーズの博識ぶりが惜しみなく披露されているので、これまた必死に追いかける。
なかでも野生の樹木たちが、何万年のあいだ共存のために情報を交換し続けていた(いる)ことに、何度も驚かされた。
さらに樹木の送る時間についての記述はとても印象深かった。
(例えば、装丁になっているセコイヤの樹齢は数百年から1000年以上/photo; Andrew C Mace)
せわしく生きる9人の時間がそこに対比され、読者はおのずと自分の人生の長さについて考えさせられてしまう。
さらにパワーズは、登場人物たちに樹木や自然のことを
“より大きく、より古く、よりゆっくりしていて、より耐久性のあるもの”
“地上で最も古く、最も大きな生物”
とたびたび表現させている。
樹木に比べたら、あっという間に終わる人間の生命。そのなかで自分勝手に動き回り、ジタバタと争っては浪費し続ける。
このことを強く印象付けることで、環境問題だけではなく、人間の根本的な勘違い(自己中心的な時間の概念)から抜け出そうよ、と、ポジティブな提案をしてくれているように思えた。
小説自体の長さもまた、その時間の概念に対するひとつの挑戦とも取れる。
668ページ、610gを読み終えた時、ぼーっとしてすぐに感想の言葉を選べなかった。(無音の世界に放り出される感じ?)
私はそうだった。
彼らの人生と言葉の数々が、徐々に身体のどこかに沈殿するのに要する時間。
なにか規模の大きな提案を読者の身体に確実に染み込ませるためには、それに相当する充分な物語の長さが必要なのではないか。
もしかして続きが存在するのでは?
今、彼は続きを書いているのでは?
私のために。 ٩( ᐛ )و
関連記事 :「幸福の遺伝子」
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バンガロール写真 おなか空く なぜ
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昨年の11月下旬から1ヶ月、インド・バンガロールのSrishti Institute Of Art, Design And Technologyのゲスト講師を務めた。
Srishti大学は、毎年授業の一環としてINTERIMというアートフェスティバルを企画している。
そのためのゲスト講師として国内外から17人ほどのアーチストが招聘される。(イギリスからの参加がとても多い)
アーティストは、事前に制作テーマやプランを大学に提出し、大学側とメールで打ち合わせをする。
学生たちはリストになったそれらアーティストの活動履歴、テーマ、制作内容を読み、自分はどのクラスに参加するか決める。
分野は大きく分けてふたつ。
FOP(festival of performance)というパフォーマンス系クラスと、FOI (festival of ideas)というビジュアルアート系クラス。
学校の授業形態のなかで行われるから、4週間という期間は引き延ばし不可、担当した学生の成績も付けないといけない。
なかなかハードなスケジュールだった。
私の場合は
「バルーン作品を制作してもらば、そのあと一緒に外で撮影ができるな。インドの風景楽しみ。ふふふ」
ぐらいの目的で [Our Scenery] というテーマで内容を決めてしまった。
最初は私の過去作品をコピーして制作してもらおうと思っていた。
が、学生と副担任の先生の意向で、Our Sceneryクラスのオリジナルの新作を作るということに決まった。
盛り上がる副担任と学生たちを眺めながら、
20人の学生の意見(アイデア)をまとめることなんてできるの?
20人が仮縫いとかミシンとかやるの?
と思ったりしたけど、結局は堂々と見切り発車した。
かのインドに来て、“なるようになるさムード ”に乗らない手はない。
まずはチャイでも飲んで、それから考えようよ。
てな感じで、どんな状況下でも糖分を摂取しながら進むのである。
1週間目は、私の過去作品のプレゼンテーション後、実際に作品に触ってもらって中に入ってもらったりの体験。
その後、小さくリサイズした型紙での演習。
そして、今回制作するオブジェはどんなものがいいか、1人ずつコンセプトと形についてのプレゼンテーション。
何か作ったり描いた途端、口数がいっきに増える学生多い。(わかるよ!)
出てきたアイデアをタイプ別で分けて、みんなで考える。
2週間目。先週から持ち越したアイデアをさらにタイプでまとめ、2つのグループにする。
2つのグループによるプレゼンテーション。
最終的には、所々譲り合い、認め合い、混ぜて捏ねて、ひとつにまとまった。
メトロの駅構内での展示を通して知らない人々と出会いたい。
ドーナツ型の形は、バルーンの中で知らないだれかとすれ違えるように。
最終的に決定した彼らのコンセプトワードは 「Serendipity」。
マケットの制作。
このあたりが一番苦労した。
材料も大学の周りで揃うものに限りがあり、いろいろ手惑う。
学生たちは、やったことのない(しかも地味な)作業に、飽きてしまったり、眠くなったり、モチベーションが下がりまくり。
見かねた私は「私の作品にしちゃうけどいいの?」とマケットを取り上げ、普段の制作どおり無言で40分ほど作業をしてしまう。
数人の学生は「リサ、怒った?」と感じ気を使って見守り、
数人は「リサ、サンキュ!」と逃げるように休憩に(戻ってきたけど)。
こんなムードの日、実行委員がドキュメント撮影に現れ、サイトやInstaに作業の様子が残っている。
今思うと、記念すべき大変な日を記録してくれて嬉しく思う。
それに、この日を境に彼らの自主性が強まったのは確か。
(C)Rammit
(C)Hima
ラミとヒマは、そんな状況の私を絵にしてくれた。(嬉)
3週間目、型紙の制作は学生に任せて、私と副担任は生地屋街に生地を探しに。
あきらかに時間がない。
やっぱり学生が今からミシンの使い方を習って作業をするのは無理だとうと、裁断と縫製はプロに任せることになる。
大学の近所のテーラーさんに作品の形を説明しに何度か出向く。
店主は、こんなのやったことないな・・・と、ちょっと困った表情で引きうけてくれた。
さて、最終週。
テーラーさんたちに大学に居残ってもらい、修正を繰り返しながらの完成。
喜びの集合写真はバルーンのなかで。
展示が始まる二日前に、Chickpeteという駅の敷地で屋外撮影。
この周辺は、バンガロール最大のマーケットで、人の数、物の数、店の数、全てにおいて最大。
おそらく渋滞もバンガロールで1番。(ちなみにバンガロールはインドで1番の渋滞シティである)
せっかくなら、ここで撮影したいよね。というクラス全員の総意で決行。
アートフェスティバルInterimが始まる。
Our scenery クラスの展示場所は、 メトロのVijayanagar駅。
2日間、10時ー19時まで学生たちは交代で作品の説明にあたった。
コンセプトや作品の経緯、Srishti大学について、Risa Satoについての説明をし、作品の中に人々を招く。
たくさんの人々が作品の中を通過してくれた。
お客さんと話し続け、学生たちはみんなヘトヘトだったけど、再会したときその話ができると思えば悪くない。
ともかく彼らが最初の週に「こうしたい」と言っていたことが叶って、心底ホッとした。
当番が終わった学生は、そのまま実家に帰省したり。
お別れの挨拶はこの駅で。
私は翌日のフライトで。
もうちょっと居たかった
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昨年は後半から、自分にとっては大変なことが続き、朝起きあがるときに「サトウリサ、ガンバレ」と声に出し、己に声援を送ってから稼働するような状態だったから、出発直前まで “初めてのインドに一ヶ月滞在なんて大丈夫かしらん?” とぼんやりとした不安を抱えていたはずなのに、到着したらそんなものは吹っ飛び、毎日学生たちに「リサリサリサリサリサリサ・・・リサ?」と名前を呼ばれながら、観光する時間も無いような制作サポート業務を必死にこなした結果、当然、身体は疲労困憊しているのに、不思議と気分はとても軽い!(ついでに肩凝り無し、頚椎好調)という状態で帰国できたのは、学生をはじめ出会った人たち、目撃した全ての生命から受け取ったエネルギーと、日々の食事とチャイから摂取していたマサラが私の細胞を活性化してくれたためだと思う。
(インド滞在についてはまたこんど)
帰国して3週間弱、成田に着いたときの「パースと清潔が目にしみるぜ」感は消えたけど学生たちの声はたまに聞こえる。
今年はそんなお正月 in 地元。
本年も宜しくお願い致します
さとうりさ
日本でもそう呼ばれたいけど無理よね。
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10月のカリフォルニアの山火事、今年も比較的大きかったので心配疲れしてしまった。
現地の母に電話したら、火事そのものよりも計画停電に対してイライラしていた。
2年前の大惨事までには至らなかったようだけど、毎年ほんとに気が気じゃない。
どこで暮らしていても、歳をとると避難したくない気持ちが強くなるのは同じ。
体力的にもしんどい、普段と違う場所で生活なんてまっぴらごめん、その気持ちもよくわかる。
かといって放っておくわけにもいかないので、ネット上の情報を見張って、はるばる日本から声がけをしている。
2年前母と連絡がとれずアタフタしているとき、SantaRosa市や消防署のサイトとSNSの情報更新がとても早くて役に立った。
燃えている場所が把握できて、避難勧告が出たエリアもオンタイムでマッピングされてた。
避難所を記した地図では、受け入れ可能人数などもポップアップされる。
習慣も言語もネイティブではない私がすぐにそこまでの情報を知れるのは凄いな、流石だな、と感心した。
今年、日本に台風がやってきたときに自分の避難所をネットで調べた。
とても調べづらい。
今時どこにどう発注したらこういうサイトが出来上がってくるんだい?
といった感じのサイト。
日本に滞在している外国の人たちのためにもちゃんと考えて欲しい。
この写真たちは、2年前のその大規模山火事の直後に訪れたときのもの。
この季節は本当に美しくて好き。
真っ黒に焼けてしまった丘もいくつか撮ったけど、なんとなく載せられない。
教会はあの「鳥」に出てくる教会。
City Lights Books では毎回必ず2階のフロアの匂いをかいでから、何か一冊買う。
山火事の季節って、自然の美しい季節でもあって。
機会があれば是非。
わたしは今インドです
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まずタイトルだけ切り抜いてみても、いい言葉だなと思う。
苦笑いしたくなるような、ふと遠くを見てしまうような。
そこに何やら、かすかな温度を感じるのは私だけだろうか。
「悪い」と言いながら、そんなに悪く思っていない感じ?
自分の思い出に合わせて、どうぞ「男」か「女」どちらでも。
「最初の悪い男」 ミランダ・ジュライ 岸本佐知子 訳
彼女が監督・主演した映画はたぶん1本しか見ていないと思う。
なのにこの人が書いた小説を読み始めると、どれも主人公がミランダ・ジュライ本人になってしまう。
一度頭の中にその映像が流れたら止められない。
本人以外の主人公を思い浮かべるのは難しい。
とくにこの作品は著者にとって初めての長編小説なので、おそらくこれまで以上に “本人度” を高めに書き上げたのではないか。と勝手に推測している。
ページ的な長さと登場人物たちが過ごす時間の長さ、両方が相まって、読了したときには映画館でがっちり1本観たあとのような感覚が残った。
それはそれは楽しい時間だった。
妄想癖のある40代の中年独身女性が、現実のなかで妄想を超える出来事に遭遇し、人生がひっちゃかめっちゃかになっていくストーリー。もし映画だったら多種多様な効果音を駆使しなければならないような場面の連続。
途中読者としてヒヤヒヤしたものの、最後にはわたし好みの着地をしてくれた。
たくさんのオモロ切ない場面のなかでも、クベルコ・ボンディ(9歳のときに出会い生き別れとなった運命の赤ん坊。←もちろん妄想)のくだりが好きすぎる。
これを読んだ春以来、私も姪っ子のことを心のかなで呼んでいる。
わたしのクベルコ・ボンデイ・・・。 (自分で打っててちょっと怖い)
クベルコ・ボンディについて考えていたら、オーエン・ミーニー(「オウエンのために祈りを」ジョン・アーヴィング)のことを思い出した。
突拍子もない出来事が次々起きてこちらを苦笑させ戸惑わせるのに、実は主題が壮大で超がつくほど真面目。
で、
「ああそうだった。現実って突拍子ないことだらけだった。」
と読んだ後もじわじわさせる。
そこがアーヴィング作品に似ている。
だから好きなのかもしれない。
いや、ただわたしが自分の好きな作家を無理やり繋げようとしているだけかもしれない。
…とかなんとか好きと好きが繋がるかもしれないふふふふとぼんやり考えている時間が最高。
です。
今年はこの人のユニクロTシャツたくさん着た
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今年はスケジュールの都合で秋の担当授業を増やしてもらった。
午前の授業は早起きがつらいけど、「午後は休日!」と思えば頑張れる。
図書館パトロール、ランチの選定、ぼやぼや散歩と整体、完全睡眠inとき。
あぁ。癒された。
造形大の図書館に私の書籍を置いてもらいました。
もうだいぶ前の出版ですが
本と目が合ったら開いてあげてください。
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今年の8月、韓国のジェイ(Lee JongHyun)さんの企画するMAMMA projectというレジデンスプログラムに参加した。
8月に横浜から私と本間純さんがセジョン(世宗)に10日間滞在。
10月には世宗から映像作家のCheong Ilhwanさんと、陶芸家のChun Youngokさんが一週間弱の滞在。
それぞれ滞在の最後には活動についてのプレゼンテーションをし、終了後に準備しておいた日韓の料理で交流会を開催した。
“ コミュニティにとって共に料理をし食事をする間に交わされる会話が何より大事。
だからその場所と機会を作るのが私とアーティストの役割 ”
そう繰り返すジェイさんは、現在のスタジオを構える前、チョンジュ(清州)で《653 art firm》スタジオを運営していた。
当時、韓国のテレビ局が制作したジェイさんのドキュメントがあり、そこでは地域住民とのプロジェクトの活動内容、彼がずっとお手本としてきた黄金町エリアマネージメントの活動、その共通点が丁寧に取材されていた。
それを見たらジェイさんの目指しているものがよくわかった。
知り合って長いけど、知らないことがたくさんあったのだ。
自宅の鍵の開け方を、知り合いみんなにほいほい教えてしまうところや、門を入るとすぐ中庭でコーヒーを淹れてあげられるようになっているのも、地域コミュニティの在り方にこだわるジェイさんらしい。
今回、私と本間さんを参加アーティストとして指名した理由も
「黄金町でよく鍋担当していた2人だから」
と直球で返す。
セジョン滞在の最終日、クリエイティブシティ・ヨコハマと黄金町のプレゼンテーションをしに来た山野さん。
“初めて山野さんに会いに行ってからここまで、7年かかりました…。”
とつぶやいたジェイさんの様子が印象的だった。
私たちがセジョンに滞在していた時期、双方で日韓関係についての悪いニュースばかりが流れていた。
けして関係なくはない。
けれど、やってきたことを、やってきた人たち、さらに繋がるこれからの人たちと続けていく。
どの国の人であっても、〈孤独〉と〈共有〉を信頼している人を信頼する。
そんな関係が存在することを諦めず伝えていきましょうよ。
ね!
(네!)
※写真提供;黄金町エリアマネージメント事務局・本間純・さとうりさ
]]>自分の体調が優れないとき、一番食べたい物を食べることが何よりの滋養になる。
と、聞いたことがあるような、無いような。
体調は普通だけど、頭のなかが “目詰まり” してしまっている今の私には、
ジャック・ロンドンの作品が何よりの滋養になっている。
読んでいるあいだは
「ほれ、食え。」
と、彼に与えられた生肉をワシワシ食らう大型犬になった気分。
なのに読後は心身が身軽になって清々しい。
この感覚をどう説明したらいいかわからない。
100年以上前に書かれた彼の名作群は膨大で、短編だけで200を超える。
全てが翻訳されているわけではないけど、
ずっとこの先も、未読を探しながら追い続けられることが嬉しい。
さて、どの順番で出会うかはお任せします。
大丈夫、呼び声が聞こえるはずだから。
(´-`)。oO(柴田さんに全作品翻訳してもらいたい...)
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NIDの学生、夏休みおめでとう。
海で、山で、街で、近所で、自室で、妄想で、思いきり冒険を。
この時期は
私のいる
意味考え
ざるおえないな
ざるおえないな
ざるおえないな
oh
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先月、Satnta Rosaから母親が帰国したので数日間一緒に過ごした。
彼女があちらに住んで、もう30年以上は経つ。
はたして”帰国”をどちらの国に対して使うのが相応しいのか私にはよくわからない。
こうした母親と私の関係は、とっくの昔に映像作品の素材にし、賞までいただいているので誰かに話すこと自体とくに気にしていない。
と、ドライな口調でいられるのはここまで。
実際に一緒に過ごす間は、毎回、相手のありとあらゆることが気になって本当に心身にこたえる。
前回会ったのは私が彼女の家に行った2年前。
あれ、こんな感じだったっけ?
会う度にそう思う。
おそらく向こうも同じようにシンドイはずだ。
短い時間で相手を理解しようと努力するエネルギー。それが低下している。
仕方ない。私たちは中年と老人になったのだから。
時間は進む。じりじりと確実に。
そして、相手のなかに己を見つけるたび・・・ (se:戦慄)
そんな時間を過ごすなか、私はこの母娘の会話シーンを思い出そうとしていた。
自宅に帰ったら再読して心身を整えよう、と。
「私の名前はルーシー・バートン」 エリザベス・ストラウト 小川高義 訳(2017)
最初に読んだのは昨年で、原書を読んでから翻訳を読んだ。
私の英語力ではちょっと面倒だったけど、前作(オリーブキタリッジ…)のファンだったのでつい欲張った。
でも会話のシーンが多いから、ガイブン好きの方は是非挑戦してみてほしい。
原文と翻訳を突き合わせて読むと勉強になります。(悪口の部分など)
ざっくり言うと、主人公・ルーシーの回想形式の小説。
ルーシーが入院する病院へあまり仲のよくない母親が見舞いに来る。
そこでのふたりの会話を起点に、回想場面が次々に入れ替わっていく。
子供の頃の記憶から、過去の恋人との会話、自分の夫と娘とのこと、小説家としての矜持・・
静かで細やかな描写で語られるルーシーの記憶と、いい加減で雑な自分の記憶とが絡みあって錯覚を起こす。
あ。これ知ってる。ってなる。
波乱万丈とはまでは言えない彼女の人生に、何度もグラグラさせられる。
とくにルーシーと母親との会話に潜む緊張感は、母娘ならではのもので共感のあまり溜息が出る。
そう、つくとスッキリするほうの溜息。
はい。
おかげさまで、今週あたりやっと整い終わった感じ。
今ごろ向こうも同じはず。
さて。
“全”の”米”は一斉に泣いたりしない。そこがいいところ。(私見)
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先週末は福井で開催されたOne Park Fastivalへ。
今年が1回目のこのフェス、福井駅から徒歩5分の福井市中央公園が会場。
アクセスがいいし、公園だから子ども連れ家族も多く、のんびりしたムードがよかった。
(ステージの正面、PA裏にトランポリンや噴水で遊ぶ子ども達の姿)
街なかでフェスって騒音クレームが大変なんじゃ?と思うけど、
地元の方々の努力が実り、早くも来年の開催は決定だそう。
続くといいですね。
で、私が参加したのは福井工業大学建築学科・清水研究室のワークショップ。
毎年1回、清水さんのひかりうんそうとご一緒しているのが縁で呼んでもらいました。
参加者に絵や文字を描いてもらい、それを清水研のヤングたち組み上げた構造物に貼っていく。という手順。
途中、日差しの熱で一部破損してしまったけど、半裸の小さい人たちが走り回ってくれていたので気分的に乗り切れた。
妖精かな?
もちろんステージも楽しませてもらっちゃっいました。
久しぶりのフェス、よかった。
このくらいのサイズいい!と思うサイズ。
でも来年はもっと混んでしまうかもしれない。
2日目終盤、となりのテントで描いていたグラフィティライターのESOWさんに思い切って話しかけてみた。
X-color展(水戸芸術館)の話をしたので、同展のキュレーターだった窪田さんにすぐにLINE。
大変懐かしがっておられました。
14年前なんだ。。。
秋吉はパトロール済みです
]]>
これは内側からのパノラマ。(船上)
透け感がなんとも。
外っていいよねぇ。
これは完成前のテスト写真。
かなり興奮した瞬間。(ふんがー。)
漆黒の闇を目指したい。
同じくテスト時、象の鼻テラススタッフのOちゃん。
100組分の企画達成、改めて10周年、もろもろおめでとうございます。
お疲れ様でした!
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象の鼻テラス10周年記念展、「Future Scape Project」が終了しました。
ご来場ありがとうございました。
船会社さんの船をお借りして、その上に展示。
という面倒くさいことを実現させてくれた、京浜フェリーボートさんと象の鼻テラスさんに感謝です。
海と仕事をしていると心が広くなるのかしら。
そして二日間限定の展示に駆けつけ中に入ってくれた方々、妙な時間を体感してくれてありがとう。
嬉しかったです。
この作品はミシンで縫っていますが、その前に手で仮縫いをしています。
このサイズになるとおよそ100mの距離を仮縫いするので、
作品が完成する頃には人差し指と親指の針が当たる部分の皮が硬くなります。
その後しばらくすると剥けます。
そこから数日して、元どおりになります。
最近、元どおりになりました。これで私の中でも作品が完了。
野望と妄想はそのままキープし、続編をお見せできますように。
遠足は家に着くまで 作品は皮が剥け変わるまで
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3月に開催した田野口駅でのワークショップ。
そろそろ参加された方々の作品が焼き上がり、私からのカードとともにご自宅へ配送される頃です。
昨年に引き続き、素焼きは静岡在住の陶芸家・前田直紀さんにお願いしました。
ちなみに前田さんは最近、静岡駅近くにPottery's STUDIO&陶芸教室をオープンしました。
なんでも防空壕が残っている家屋だそうで、気になります。
そして横浜でも自分で作ったうちの一つを、試しに焼いてもらいました。
こちらは黄金町で陶芸教室を担当しているアーティストさかもとゆりさんに。
見た目ではわからないけど、けっこう肉厚で重い。
次回はもっと薄く仕上げたい。
なんだかコーヒーと合わせたら美味しそう。
みなさま、ご参加・ご協力ありがとうございました。
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そして先週末、島田市抜里の “兒玉さんちスタジオ” から作品が戻ってきた。
しばらくの間、黄金町のGALA Houseに展示してもらえることに。
是非、積極的に通りがかってください。
展示が終わるたびに増える悩み、嗚呼、それはスペース。
救われました。
Unmanned及び黄金町の関係者のみなさん、ありがとうございました。
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無人駅の芸術祭、無事に会期を終了しました。
来てくださった方、気にかけてくださった方、今知った方、皆々様ありがとうございました。
最近、制作から会期中の大量の写真をまとめている。
まとまらないけど。
展示最終日、きまぐれに古い一眼デジカメを使って作品撮影をしたら、色がしっとりとしていて意外と良かった。
新しいカメラはみんな明るいですわよね。
今日載せる写真は抜里周辺とその他の風景。
上の写真は、抜里駅から国道473を千頭方面に上って、クイッと左折すると出てくる茶畑。
まあまあの高さにあって、とても気持ち良い。
叫びたくなる景色。
叫べばよかった。
これは笹間渡水力発電所跡。いわゆる廃発電所。
ここへ行くための道はないらしい。
行った人の話を聞いたら、大冒険っぽかったのでまだ行ってないけど。
これは抜里駅近くの「久米商店」のおでん。
毎年お世話になっております。
顔を出したくないと言っていたお母さん、いつも優しい笑顔です。
一串50円。
静岡おでんの常識、削り粉もかけてくれます。
これは家山駅からちょっと歩くと見えてくる「焼肉・川柳園」。
壁の貫禄よ。
いぶりがっこができそうだ。
この日、焼肉は食べなかったけど、地元のおじさま達も推薦するお店。
サクッと跳んで、駿河徳山駅近くの「ちゃちゃ丸」。
カウンターにはちゃんと木村建世さんの文庫本の作品が置いてあった。
お店のお母さんもインタビューを受けたそうだ。
ちゃんぽんがオススメ。
これは滞在場所である抜里ハウスのこたつの部屋。
最終日の打ち上げは、この部屋で3時ごろまで続いた。
たいがい夜中の12時過ぎるとなんとも形容しがたい独特な時間になりますね。
しょーもない話が冴えに冴えてくる。
作家それぞれが、日々の中で作品制作と並行して鍛えているくだらなさが光る。
笑い疲れてもう眠いんだけど、まだくだらないを続けたい、でも眠い、ちょ、体勢変えてみよっかな。。やばい寝ちゃう。。
みたいな。
何のアーカイブにもカタログにも残らない素晴らしい時間をありがとう。
励みにする。
これは地元の方々との宴会で見せてもらった写真。
たまに遭遇するらしい特別天然記念物「ニホンカモシカ」。
クマ出た!と一瞬心臓が止まるらしい。
これはやばい。
いい写真。
これは昔からの友人Nさんが送ってくれた画像。
展示場所である田野口駅に6号フィギアを持っていてくれたそうです。
粋なことをしてくれます。
感謝感激。
そう、今年は20周年。
うふ。
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マップをリンクしました。
上記公式サイトにあるパンフレットとあわせてご利用ください。
【代官町駅・待合室】
展示)ズガ・コーサクとクリ・エイト
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↓
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【神尾駅・周辺】
展示)中村昌司
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↓
【福用駅・駅舎】
展示)しでかすおともだち
《古民家野菊の宿》
展示)長谷部勇人
《旧大池家》
展示)中?透
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↓
【大和田駅・ホーム】
展示)クロダユキ+蔵内彩子
↓
↓
↓
【抜里駅・駅舎】
展示)江頭誠
《五班集会場》
展示)江頭誠
《インフォメーションセンター・抜里プラザ》
展示)持塚三樹、伊藤尚未
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↓
↓
【川根温泉笹間渡駅・駅舎】
展示)ズガ・コーサクとクリ・エイト
《大井川鐵道 大井川第一橋梁下付近》※川根ホテル対岸あたり
展示)夏池篤+山本直
↓
↓
↓
【地名駅・ホーム】
展示)星雅治
↓
↓
↓
【塩郷駅・周辺】
展示)清水陽介
↓
↓
↓
【田野口駅・駅舎】
展示)さとうりさ
↓
↓
↓
【駿河徳山駅・ホーム】
展示)木村健世
抜里の朝はだいたい霧が出ているのでまろやかな光がもわっと広がっている。
7時には朝のジングル?がスピーカーから流れる。
ここは朝が気持ちいいので、さっさと起きるのが吉。
そして散歩するか車でコンビニまでドライブする。
黄金町のスタジオから運ばれた作品は、ここ抜里の「兒玉さんちスタジオ」に収納された。
このガレージは、物を収納するだけではなく、近所のご主人達の飲みの場という大事な役割がある。
到着した日も、イベントボランティアを終えた4名ほどの抜里衆が、西日を浴びながらお湯割を飲んでいた。
ので、私も参加した。
作業中、兒玉家のみなさんにいろいろ助けていただいた。
おかげさまで作業はしやすかったし、スムーズに進んだ。
写真に写っているご主人は、この展覧会の重要なサポーターなので覚えておいてもらいたい。
私なりに気を使って「顔出し無し」の写真にしたけど、
なぁんだぁよ〜だぁしてくれよぉ〜
と後でクレームが来るかもしれない。
この写真を撮ったとき、「あれ?駅よりここのほうがいいんじゃない?」
と思ったことはここだけの話。
機械に関するもの、食物に関するもの、子供達のおもちゃ。
多種多様の物、物、物、が混ざりながら整頓されていて、隅々まで見てしまう。
ある日には、どこかの神社に飾られていた古くなった鏡餅がやってきた。
蛍の餌になる虫のための餌になるそうだ。
完成後、展示場所である田野口駅まで運んでくれたのも兒玉夫妻。
感謝でいっぱいのドナドナ風景。
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8日から『Unmanned 無人駅の芸術祭』 が始まる。
黄金町のスタジオで作らせてもらっていた作品たちは、先週、島田市抜里へ移動した。
残りの作業は現地でやることに。
ほんの1ヶ月くらいの期間でも制作した場所には情が湧く。
毎回、出て行くときは晴れ晴れしながらしんみり。
そう、引っ越すときのあれ。
スタジオでは5種類のオブジェ(油土)の石膏型も作った。
石膏なんてしばらく使っていなかったけど、シリコンより気楽でいい。
無臭だったり、粉だったり、値段だったりがその要因かと。
(容器等に残った石膏は必ず固まるのを待ち、新聞紙などで拭き取って捨てましょう 水道に流してはいけません)
3月10日に田野口駅で行うワークショップのテストもしてみた。
石膏型に陶土を詰めて抜いたもの。
型の乾燥がもっと進めば、もっと抜きやすくなるはず。(希望)
土も気持ちが楽でいい。
ご参加お待ちしております!
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ここ数週間は短期のスタジオでずっと制作をしている。
時間の感覚が薄まってきてしまって・・・今はいつ?
灰色の日々のなか(大袈裟)、眩しい写真を見つけてしまった。
先月末、彫刻家の木村有貴子さん(以下、キムネー)のスタジオを訪問したときの海。
『moku』はキムネーの従姉妹が経営するサロンと併設されているスタジオ。
ロケーションも映画のようで、わー!わー!と騒いでしまう。
自らリフォームしただけあって、隅々まで愛着を感じる。
「床を見て欲しい」とキムネーは何度も言っていた。
また、この時は「屋根裏にアライグマ住んでるかもよ問題」が勃発していた。
愛着を感じている方はたくさんいらっしゃるようだ。
わかる気がする。
ハンマーヘッドスタジオ、黄金町スタジオ、からの自分のスタジオ。
羨ましい。
励みになったよ、キムネーいつもありがとう。
シーキャッスルもありがとう。
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ということで先々週末、メジャーを持って現地へ。
久しぶりの大井川鐵道、車両の先頭席にはすでに乗り鉄さんたちがいらした。
このときのトピックは『車両の一生』といったところ。
「〇〇の車両は〇〇に引き取られたけど、今は〇〇で使われている」とか
「公園に(遊具として?)設置しちゃうのも良さそうだけどマメに塗装しないとすぐ錆びるからコストかかんだよね」
| -_-).。oO(ほほう。)
と、自作弁当を食べながら聞き耳を立てる至福。
ただいま、大井川。
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講評の日はいつも時間がなくて、数人としか話せない。
でも出来る限り彼らの変化を見ているつもり。
制作、時間、思想、もろもろもっと自分のものにしてもらいたい。
と毎年思う。
そして私の言うことを疑ってほしい。
と毎回思う。
これは越後湯沢
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先週から短期スタジオを貸していただいている。
椅子に座って視線の先にあるガムテープを睨んでいたりする。
今の悩みは、以前使って崩してある油粘土の硬さが判別できないこと。
赤ラベル(軟)と黄ラベル(硬)、ちょっと握れば判るはずなんだけど。
鈍ったのかしら。
冬だからだよ!
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また抜里にやってきた。
到着して車を降りた途端、なんか、変な感じ。
相変わらず静かで日差しだけ強い。
レア盛り
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12月はじめの授業は少し早く終わって少し暖かい日だったので、
造形大から長岡駅まで歩いてみた。
5kmほどの道のりを55分ほどで。
いつもと目線の位置が変わって新鮮。
大手大橋の真ん中から。
中国成都の都江堰を思い出す。
4年前初めて長岡に来た時から、バスから見えるこの店が気になっている。
私が横浜に住んでいるから?
ここもポンパドウル夫人が由来なのかしらん。
(ベーカリーのポンパドウルは横浜発祥)
午前中の授業の日は、東京駅に16時前には到着する。
毎週、駅近くの大型書店に行ったり、友達の展示に寄るのが楽しい。
でも実は4:30起きだから、帰宅すると倒れるように寝てしまう。
いまだ旅行気分が抜けないらしい。
正月用に「鶴齢」を購入
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「インヴィジブル」 ポール・オースター 柴田元幸 訳 (訳2018/原2009)
ソール・ライターをカバー写真に使ったポール・オースターの小説。
ちょっとキメ過ぎな感じもするけど・・・か、かっこいい。降参。
れこまでの作品よりギアを上げているような印象。
会話の鉤括弧が無いせいか、サスペンスの色が濃いせいか、体感速度が速いように感じた。
そしてやっぱり読者は小説内で時空を移動させられるので、
これから読む方は期待に胸を膨らませ、気を引き締めて挑んで欲しい。
走り出したら止まらない。
私はまだ身体に揺れが残っていて落ち着かない。
これが9年も前の作品。
じゃあ、今は何を考えているんだろかと、最新作がとても気になる。
私の「柴田ファイル」(柴田元幸氏のトークイベント等で摂ったメモ集)には、
2014年の日付で
“ インヴィジブル → ムーン・パレスの暗い版 ”
とあった。
これは柴田さんが発した言葉だからネタバレではない。
よね?
うっすら漂うGothみ。
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11月最初の週末、若洲海浜公園でワークショップをやってきた。
ひかりうんそうさんが各所でやっているコテトラドーム(名前間違っていないか心配)に、
私が参加者と一緒に色の面を付けていくコラボ式。
1日目はドームもスムーズに組み上がり、天気も良く来場者も多かったけど、2日目は雨で早めの終了になってしまった。
これは、徐々にアレンジしていくのが楽しいやつだ。
また次回!
離陸しそう。
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9月、実家の小学生と東京藝大の藝祭に。
20年ぶりにサンバを聴きながらグラウンドでビールを飲んだ。
自分がいた頃より、全体的に清潔な印象。(笑うところ)
中国・成都のレジデンスで通訳をやってくれていたSちゃんが、今年から武蔵美術大学の学生になった。
なので学祭にも遊びに行ってきた。
武蔵美は母校ではないけど、実家から近いので叔母校みたいな親近感。
もう・・この道ね。
クヌギの匂い。
落ち着く。
チュイルリー公園かな?
いいえ、長岡造形大学です。
雪が降る前にやっておきたいことをやっておく季節。
ブンミおじさんの森土産かな?
いいえ、新潟土産です。
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先週、LPACK.と敷浪さんのプロジェクトスペース DAIRY SUPPLY SSS にやっと行けた。
オランダ帰りのSさん、黄金町事務局のHさんと一緒に、ランチを食べつつ2時間以上喋りまくってしまった。
居心地の良さは勿論だけど、あの場所に突然「ボム!(←マジックの煙)」っと現れたような、
どこか妙な感じが彼らっぽくて印象的だった。
若干、時空が歪んでたような。。。
美しい料理、ディスプレイ、たくさん写真を撮ったけど、彼らのサイトが素晴らしいのでそちらを楽しんでもらいたい。
ちなみにLPACK.は、来月開催されるヤングアート長岡にも参加するそう。おたのしみに〜。
この日、買って帰ったコーヒーは "Indonesia"
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最近終了した「ゴードン・マッタ=クラーク展/国立近代美術館」、数えたら4回も行っていた。
月イチで行っていた感じ。(暇なのかな)
映像が多いから、まず2回行って。
その帰りに展覧会カタログと冊子を買い、家で書籍をポチる。
読み終わったら確認したいことができてもう1回 行きたくなり。
最後は奥村君の作品「帰ってきたゴードン・マッタ=クラーク」を見忘れてたことに気付き、もう1回。ついでにトークも。
(行ってよかったよ!)
さらにもう1回行ってたら、馴染みすぎて寝転んで映像を見てた思う。
Day’s End あたりのウレタンに。
『Experience Becomes the Object』はゴードンと活動を共にしていた友人・知人による作品解説と、
10人のインタビューで構成されている本。
英語だから読み終えるのに時間がかかったけど、話し言葉に近いのでそれほど苦痛でもなく、面白く読んだ。
友人それぞれのエピソードの中には「あー、あるある。」な苦労話があって、当時の現場の雰囲気と時代背景がぐいぐい伝わってくる。
突然現れた経理を雇ってしまい、毎日の売り上げをごまかされて盗られたり。
ビルの壁を壊していたらいきなり爆発して危うく死にそうになったり。
ゴードンがFOODの2日目には、もうウンザリしてたり。
・・ますます親しみが湧いてくる。
掴み所のないリアクション。生き急いでいるような制作ペース。バタンの死。彼の持病と死。
友人たちは、各々の人生のなかでそれらを消化しようと試みてきて、今に至る。
彼らが見ていたゴードンが、それぞれ微妙に違うところがリアルでよかった。
「“大事なものを伝え残す言葉” を選ぶ重要性」を考えてしまう私。(暇だから)
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8月最後の日、日比野さんの還暦祝いのイベントへ。
早い時間に行って、お祝いの挨拶をしてきた。
私を含め会場にいる人たちみんな、湯上りみたいに忙しく汗を拭きながら
「おめでとうございます」を繰り返していて微笑ましかった。
誰かをお祝いしている時間の、普段より“びよーん” と伸びた感じがいい。
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東京藝術大学の陳列館での 1940's フジタ・トリビュート 展へ。
おそらく、卒業以来初めて大学構内へ入った。
門も変わっているし建物も変わっているしで、まるで知らない場所みたい。
陳列館に入るとすぐに「今、停電から復旧中ですので映像はもう少しお待ちください」と声をかけられる。
映像以外の作品から回っていたら懐かしい顔に会った。
メルボルンレジデンス(ポートジャーニー)でアシスタントをしてくれた進藤詩子さんだ。
彼女も東京とメルボルンを拠点に、国内外でいくつも展覧会をしているアーティスト。
二人でまだ冷房の効きが不十分な踊り場の長椅子に腰掛け、汗を拭きながら話した。
彼女がこらから行くニューメキシコの話。
私の母が住むカリフォルニアの山火事の話。
スタジオ探しの苦労話。
単身海外生活の不安話。
でもやっぱり "移動は希望" の話。
詩子さんは私がいつか言った
「どのスタジオでも入居初日には、まずその床で昼寝する。身体が場所に馴染むから」
という策を各所で実践しているらしく、“ それがとてもよく効くんです!” と話してくれた。
確かによくやっていることだけど、人に話したことは忘れていた。
数年ぶりに会って、そんな細かい話をしてくれるところがこの人の優しいところ。
ひと通り近況報告を終えた私たちは、それぞれ鑑賞に戻った。
小沢剛研究室の作品の脇では、研究室のひとりと思われる女子学生が友人に小声で作品解説をしていた。
「このシーンは小沢先生がね・・」
「ふだん小沢先生はね・・」
小沢さんに会ったときに報告しようと、耳をそば立ててみたけどよく聞き取れず。
それでも楽しげな声のトーンから、彼女が充実した制作活動ができているんだろうなと勝手に想像した。
その後、私はすぐ近くの東京都美術館で開催されている没後50年 藤田嗣治展に向かった。
“ 質、量ともに、史上最大級の大回顧展 ”は、想像以上に混んでいて、作品に沿って大勢の人の列がゆっくりと進んでいた。
私もその列に挑んだり諦めたりしながら進んでみたものの、終始ぼんやりとしてしまった。
" The War Paintings " の見え方もいつもと少し違ったような気がする。
数十年前に藤田が過ごした時間と、数十分前に陳列館で過ごした私(達)の時間。
その二つが起こすハレーションがあまりに激しかったせいだろうか。
暑くて重苦しい感覚の残る大事な一日。
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昨年の六甲ミーツアートと今年のアンコール展、合わせて6ヶ月以上の展示を終え、
「あべちゃん・・・」が無事に我が家へ戻って来た。
長い間お世話していただき、ありがとうございました。
あれもこれも楽しかったです。
神戸元町の酒場も。
いつのまにか今年の六甲ミーツアートが始まる季節。
毎年必ず台風が来て、作品をしまったり出したり縛ったり・・・過酷な山頂での作品管理には本当に頭が下がります。
スタッフのみなさん、怪我などないように気をつけてください。
というか、全国の芸術祭スタッフのみなさん、も。
作品より身体が大事。
これは怪我じゃなくて風呂上がり的状況
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頭の中がスッキリ
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昨年の11月に行われた「川上村立川上中学校統合50周年記念式典」。
その記念誌ができあがり、送っていただきました。
流通されるものではありませんが、ご報告まで。
作品が移設されるドキュメントや、式典での講演(作品についてのおしゃべりや質問コーナー)の様子など
ふんだんに載せていただいています。
関係者の皆様、ありがとうございました。
大事にします。
みんな、夏休み、楽しんで!
ピートのせいで夏休みにはSF読みがち
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ひどい暑さのせいで引越し計画が進まない。
思い通りにいかない時は、全部暑さのせいにしてぼちぼち行きましょう。
池ポンこと、池田光宏さんの個展が昨日から栃尾美術館で始まっています。
長岡造形大学の授業で一緒になるので、ここ最近の池ポンの様子を見守っておりました。
それはそれは・・・いろんな種類の汗をかいていた模様。
私は新潟県内の芸術祭へ寄り道しながら見に行く予定。
皆様もぜひ新潟へ。
同じく造形大学の授業で一緒になる三田村光土里さんのグッズ。
私は手売りをしてもらいましたけど、通販あり。
今年の秋はワンピにこのピンバッジでキメます。(ワンピ=つなぎ)
ウチも通販始めたい。
頑張りまーす。
のろのろ・・・
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今年も長岡造形大学での授業が始まった。
毎年この時期は、
長岡をもっと知る機会を自分で作ろう
と、思うのに結局毎年できてない。
うーむ。
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でも相手に時間を気にするような仕草を見せたくないから、
もうちょっと仕事が片付いて気分が軽くなったら行こう、と先延ばしにしていた。
ところが不思議なもので、先月「よし、連休終わったら飛び出すぞ」と決めた途端、
相手にも念が通じたのか、すんなり日程が合った。
ヴァンジ彫刻庭園美術館と、そこで働く人たちに再会できたことが本当に嬉しく、感謝している。
とくにこの季節は、制作と展示のために一緒に時間を過ごした、たくさんの人たちの顔が浮かぶ。
太陽光は意外と強く、クレマチスやバラは満開だ。
とにかく隅から隅まで眩しい季節。
眩しすぎて目に染みて仕方がない。
だから涙目になっても仕方がない。
染みたまま、話しては黙り、観ては話しを繰り返し、気がつけば5時間くらい経っていた。
なんだろう、すごく身体にいいものを吸い込んだ気がする。
ご褒美みたいな時間をありがとう
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気づけばUnmanned展の最終日から一ヶ月経過してた。
ということは「日本昔ばなし」のワンシーンのようなあの打ち上げからも一ヶ月経ったことになる。
もう、ずっとむかぁしむかしの出来事のような気がしてしまう。
昨年10月、展示場所の下見を兼ねて大井川鐵道無人駅とその周辺をバスに乗って巡った。
展覧会を企画をしている NPOクロスメディアしまだ の方たちと地元アーティストたちが醸し出す、
どこかのんびり朗らかな雰囲気が印象的だった。
そんな雰囲気に私も図々しく便乗して、
あまりやったことがないことをやらせてもらおう。
と、帰りの新幹線で思った。
年の瀬も迫った12月あたり、
「地のものを作品の材料に使いたいんですが、土とか何か、譲ってもらえる材料とかないですかね?」
と聞いたところ、
「土ありましたよ。7トン。」
と、返事が来た。
7〜8年前、新東名のトンネル工事の際、偶然出て来た志都呂の陶土をあるところに保管しているという。
訳あって、そのままずっと置きっぱなしになっているから是非使ってくださいとのこと。
(栗ヶ岳トンネルあたりの土かな?と勝手に想像してるけど、確認とってません。あしからず)
土がわたしを呼んだのかあ。
と、いい気になって土を焼いて作品を制作することに決めた。
年が明けてから、NPOスタッフの皆さん、陶芸作家の前田さんと打ち合わせ。
わたしが普段の制作で使用しているのは油粘土。(浪人時代は水粘土。笑)
陶芸は大学生のときにやったくらいで、知ったかぶりできる知識すらない。
そんなわたしを相手に説明してくれた前田先生の忍耐には頭がさがる。
まずは土を触らないと始まらないので、次の週には土を取りに保管場所へ。
NPOのOさんと一緒にブルーシートで覆われた小山をスコップで掘り起こし、
土嚢袋5つ分を滞在場所であるヌクリハウスに運び、
2階の和室で怖いもの知らずの制作が始まった。
ところが、というか早速。
最初の芯材を使う制作プランが失敗に終わる。
陶土の収縮率(10%〜15%)は聞いていたはずなのに、イメージできていたなかった。
最初の一週間でやったことを、次の週には壊してはじめからやり直すことに。
芯材から引っぱがした粘土をもう一度練る。
土嚢袋から追加の陶土を取り出して、ゴミを取っては練り、ゴミを取っては練りの繰り返し。
すぐに4、5日が過ぎる。
いやあ、土の中には実にいろいろなものが入っていますね・・。(回想)
そして手首から腕、首まで、酷い筋肉痛になる。
たいがいの筋肉痛には驚かないけど、中年になって眠れないほどの筋肉痛なんて経験無い。
それでもこの時期のヌクリハウスには他の参加アーティスト(西田さん、ユカさん、木村さん)も滞在していて、
毎晩の和やかな夕食が気を紛らわせてくれていた。
もし一人だったら考えすぎて沈んでいたかもしれない。
抜里の夜のはそのくらい深い。
次の週は吹っ切れて晴れやかな気分で再度成形に入った。
(その前に前田先生に大迷惑な電話相談をしているけどそこは割愛。お恥ずかしいので)
作っているあいだ、とても楽しかった。
前の週、練りをしていた自分に感謝。
筋肉痛はあっても、スタイロや樹脂を使っているときの身体に感じるストレスは無い。
掘って出てきた土と水だけ、というシンプルな素材に、いろいろ考えさせたれた。
その後、乾燥〜焼きを経て、9体の作品が完成。
9体のあちらこちらに、自分だけが昔から知っている、人に知られたくないダメなところがにじみ出てるな。
と、神尾駅で設置をしながら思った。
「地蔵まえ」というタイトルの「まえ」は、front ではなく、beforeとかpreviousの「まえ」。
これまで自分が作ってきた「作品」と言い訳している物体は、パブリックだ地域だ共存だと謳って謳われてを繰り返しているけど、結局、地蔵の存在を超えられるのかい?
という疑念。
それどころか鼻で笑われるような存在だとしても、謎の制作衝動を自嘲したくはないから ”来た” ものは作るしかないよねー。
虚しくてもねー。あははー。
という開き直り。
だいぶ長い時間この二つの間をうろうろしている気がする。
我が家に持ち帰った土あり〼
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富山と静岡から作品がどっさり戻ってきた。
「こんなたくさんどうすんだあ・・」と泣きたい状況には慣れている。
というか、もう作品保管場所について考えるのに飽きているので淡々としている。
狭い家のなかを動き回り、断捨離も進めながらどうにかこうにか詰め込む。
この作業をしていると必ず、数年前黄金町に滞在していたMichael Johanssonの作品を思い出す。あれすき。
慣れてくるとモノを捨てるのがだんだん楽しくなってくる。
少しでもスペースができると気分がいい。
断捨離は身体にいい。
ただ、通販サイトを利用して本を2冊売ったのに、その売り上げポイントで違う2冊を購入。
アホなのかな。
そしてさらにそんな部屋で、木製のクレート作りと作品の修理・補強を強行。(六甲山行き)
この部屋の限界を見た気がした。
延々と続く作業にふて腐れそうになったので、自分にご褒美を買った。
憧れのインパクトドライバー。
エバっぽい。(よく知らないくせに)
本命パープルコーデ。
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静岡方面へおでかけの予定がある方、是非お立ち寄りください。
車でお越しの方、神尾駅へ向かう際は十分気をつけて。
峠を攻める。
が、心穏やかに。
です。
(私のように)
大井川鉄道本線
【金谷駅】ーーー(JR線接続駅)
↓
【新金谷駅】ーーー
↓
【代官町駅】
しでかすおともだち『Me and My Monster』
↓
【日切駅】
持塚三樹 『エフェメラとゲート』
↓
【五和駅】
清水陽介 『ゴカク』
↓
【神尾駅】
さとうりさ『地蔵まえ』
↓
【福用駅】
木村健世 『無人駅文庫』
しでかすおともだち『Me and My Monster』
清水陽介『花 蛇 ヌケガラ』
↓
【大和田駅】
持塚三樹『大和田ステーションギャラリー』
↓
【家山駅】ーーー
↓
【抜里駅】
Hidemi Nishida『隠された人々』
島田慎太郎・小柳津直二『やどる』
↓
【川根温泉笹間渡駅】
夏池篤『森のコースター2』
↓
↓
↓
千頭方面へ
よい週末を。
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