母娘もの

2019.07.20 Saturday

 

 

 

 

 

先月、Satnta Rosaから母親が帰国したので数日間一緒に過ごした。

彼女があちらに住んで、もう30年以上は経つ。
はたして”帰国”をどちらの国に対して使うのが相応しいのか私にはよくわからない。
こうした母親と私の関係は、とっくの昔に映像作品の素材にし、賞までいただいているので誰かに話すこと自体とくに気にしていない。

と、ドライな口調でいられるのはここまで。

 

実際に一緒に過ごす間は、毎回、相手のありとあらゆることが気になって本当に心身にこたえる。

前回会ったのは私が彼女の家に行った2年前。
あれ、こんな感じだったっけ?
会う度にそう思う。
おそらく向こうも同じようにシンドイはずだ。
短い時間で相手を理解しようと努力するエネルギー。それが低下している。
仕方ない。私たちは中年と老人になったのだから。

時間は進む。じりじりと確実に。
そして、相手のなかに己を見つけるたび・・・ (se:戦慄)

 

 

そんな時間を過ごすなか、私はこの母娘の会話シーンを思い出そうとしていた。
自宅に帰ったら再読して心身を整えよう、と。

 

「私の名前はルーシー・バートン」  エリザベス・ストラウト   小川高義 訳(2017)

 

最初に読んだのは昨年で、原書を読んでから翻訳を読んだ。
私の英語力ではちょっと面倒だったけど、前作(オリーブキタリッジ…)のファンだったのでつい欲張った。
でも会話のシーンが多いから、ガイブン好きの方は是非挑戦してみてほしい。
原文と翻訳を突き合わせて読むと勉強になります。(悪口の部分など)

 

ざっくり言うと、主人公・ルーシーの回想形式の小説。
ルーシーが入院する病院へあまり仲のよくない母親が見舞いに来る。
そこでのふたりの会話を起点に、回想場面が次々に入れ替わっていく。
子供の頃の記憶から、過去の恋人との会話、自分の夫と娘とのこと、小説家としての矜持・・
静かで細やかな描写で語られるルーシーの記憶と、いい加減で雑な自分の記憶とが絡みあって錯覚を起こす。
あ。これ知ってる。ってなる。
波乱万丈とはまでは言えない彼女の人生に、何度もグラグラさせられる。
とくにルーシーと母親との会話に潜む緊張感は、母娘ならではのもので共感のあまり溜息が出る。
そう、つくとスッキリするほうの溜息。

 

はい。
おかげさまで、今週あたりやっと整い終わった感じ。
今ごろ向こうも同じはず。

 

 

 

さて。

 

 

 

 

 

“全”の”米”は一斉に泣いたりしない。そこがいいところ。(私見)

 

 

 

 

 

 

 

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