不可視

2018.12.16 Sunday

 

「インヴィジブル」 ポール・オースター 柴田元幸 訳 (訳2018/原2009)

 

ソール・ライターをカバー写真に使ったポール・オースターの小説。
ちょっとキメ過ぎな感じもするけど・・・か、かっこいい。降参。

 

れこまでの作品よりギアを上げているような印象。
会話の鉤括弧が無いせいか、サスペンスの色が濃いせいか、体感速度が速いように感じた。
そしてやっぱり読者は小説内で時空を移動させられるので、
これから読む方は期待に胸を膨らませ、気を引き締めて挑んで欲しい。
走り出したら止まらない。

私はまだ身体に揺れが残っていて落ち着かない。

 

これが9年も前の作品。
じゃあ、今は何を考えているんだろかと、最新作がとても気になる。

 

私の「柴田ファイル」(柴田元幸氏のトークイベント等で摂ったメモ集)には、

2014年の日付で
“ インヴィジブル → ムーン・パレスの暗い版 ”
とあった。


これは柴田さんが発した言葉だからネタバレではない。
よね?

 

 

 

 

うっすら漂うGothみ。

 

 

 

 

 

 

 

ゴードン・マッタ=クラーク

2018.09.20 Thursday

 

最近終了した「ゴードン・マッタ=クラーク展/国立近代美術館」、数えたら4回も行っていた。
月イチで行っていた感じ。(暇なのかな)

 

映像が多いから、まず2回行って。
その帰りに展覧会カタログと冊子を買い、家で書籍をポチる。
読み終わったら確認したいことができてもう1回 行きたくなり。
最後は奥村君の作品「帰ってきたゴードン・マッタ=クラーク」を見忘れてたことに気付き、もう1回。ついでにトークも。

(行ってよかったよ!)

さらにもう1回行ってたら、馴染みすぎて寝転んで映像を見てた思う。
Day’s End あたりのウレタンに。


『Experience Becomes the Object』はゴードンと活動を共にしていた友人・知人による作品解説と、
10人のインタビューで構成されている本。
英語だから読み終えるのに時間がかかったけど、話し言葉に近いのでそれほど苦痛でもなく、面白く読んだ。
友人それぞれのエピソードの中には「あー、あるある。」な苦労話があって、当時の現場の雰囲気と時代背景がぐいぐい伝わってくる。
突然現れた経理を雇ってしまい、毎日の売り上げをごまかされて盗られたり。
ビルの壁を壊していたらいきなり爆発して危うく死にそうになったり。
ゴードンがFOODの2日目には、もうウンザリしてたり。
・・ますます親しみが湧いてくる。


掴み所のないリアクション。生き急いでいるような制作ペース。バタンの死。彼の持病と死。
友人たちは、各々の人生のなかでそれらを消化しようと試みてきて、今に至る。

彼らが見ていたゴードンが、それぞれ微妙に違うところがリアルでよかった。

 

 

「“大事なものを伝え残す言葉” を選ぶ重要性」を考えてしまう私。(暇だから)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念の号外

2017.10.05 Thursday

カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した。
ファンとして、とても喜んでいる。
じーん。

 

でももう一昨年のように講演会に行く(当選)するのは難しくなるのだろう。
そう思ったら寂しくなってきた。
数メートル先にいたのに。
しょぼん。

 

あ、でも、やっぱ、嬉しいや。 (どないやねん)

 


ちなみにこのブログで過去に紹介したのはこの3作品だけど

全部の作品を読んでもらいたい。

そして私とイシグロ談義いたしましょう。

酒場で待ってます。

 

『忘れられた巨人』

『充たされざる者』

『浮き世の画家』

 

 

夜なのでこのへんで。

とりいそぎ、記念の号外でした。

 

おやすみなさい。

 

 

 

鳥の名は・・・

2017.04.04 Tuesday

 

去年の春ごろ、いわゆる電子書籍リーダーを買った。

きっかけは絶版になった本が、電子書籍になっていたから。
一年ほど使って便利に感じた点は、

暗い部屋でも明りを気にせず読めるところ。
他の荷物との摩擦を気にせずポイっとリュックに放り込めるところ。
絵の具や削った粉が付いても、ちょっと拭けば済むので作業場でも気楽に使えるところ。
あとは、海外滞在中の「なんか読みたいなあ」に対応してくれるところ。


昨年の中国成都での滞在には、電子書籍リーダーと文庫本を3冊ほどを持参した。
この3冊は読んでは誰かにあげ、また古本屋で買って、またあげて・・・というお馴染みのメンツ。
今回も帰国する直前、通訳の女子大学生Sさんに全部差し上げたら、
「りさ!わたし!しあわせです!」と言って受け取ってくれた。
私がその本を初めて読んだのも大学生時代だったことを思い出し、なんだかこちらもしあわせになった。
(ちなみに彼女は私が「バカ殿」の声真似をすると、顔を真っ赤にして涙をにじませ笑う。)

 

成都滞在も半分が過ぎた頃だったか、
文庫本を読み終わってしまった私は、試し読み版「ゴールドフィンチ/ドナ・タート」をダウンロードしてしまった。
そこから夜な夜な・・・1巻ポチ、2巻ポチ、3巻ポチ・・・
・・・気がつけば5,000円ちょい。きゃー。

 

「ゴールドフィンチ」とはカレル・ファブリティウスによって描かれた絵のタイトル。
つまりこの絵と、この絵に魅了された主人公テオの壮絶な物語。
「ゴールドフィンチ」とファブリティウスに関するエピソードはもちろん、

美術館や家具修理の作業場などの空間の描写も読みどころのひとつ。
私はよく小説や映画に「アート」が出てくるたびに、気持ちがザワザワしてしまう。(しませんか?)
でもこの小説は読み始めてすぐに、このザワザワは消え去った。
とくに終盤、画家と絵についてのテオの語りは何度か読み返したほど。
スゥーーーンという気持ちにさせてくれる。

 

ということで
成都での熱帯夜の記憶には、雪のNYとラズベガスの砂漠のイメージが混ざり合っている。

 

 

 

でもやっぱり電子書籍は実像がないのがどうも寂しい。
ひとくち食べて美味しいものは齧った断面を見たい。
美味しいお酒の色にも見とれたい。

新刊の甘いにおい。
古本の酸っぱいにおい。

ブックカバーの折ったりつけたりはずしたり。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

はいはい、適宜お好きなように。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画脳

2016.05.17 Tuesday


ひと月以上前に読み終わってるけど、まだ机の隅に置いたままにしてある。
ふとした時に、パラパラと開いては登場する映画監督の名前などを検索するためだ。
5月のカラリと晴れた日に、そんなことをしていると、いつも自宅の窓から見下ろしている通りが
L.A.のサンセット通りに見えてくるのだ。(嘘です)
 

「ゼロヴィル」スティーヴ・エリクソン 訳)柴田元幸
 

1950年生まれのS・エリクソンによって描かれた、1945年生まれのヴィカー青年の物語。
1969年、24歳になったヴィカーがロサンゼルスに到着するところから始まる。
「映画自閉症」である彼は、頭に『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーを刺青している。
誰かと出会うたび、頭の刺青に不本意なツッコミを入れられつつ、やがて映画業界の異端児として注目されてゆくヴィカー。
しかし彼を抑圧していた過去の記憶がしだいに。。。
 

ヴィカーの(S・エリクソンの)映画脳を通して、当時のロサンゼルスの映像を見せてもらっているようだった。
登場人物たちが語る無数の映画に、その情報量に圧倒される。
各映画そのものを語り合っているだけじゃなくて、喩えとして、世相として、形容詞として機能しているから、
すみずみまで知りたくなってしまう。
何しろタイトル、俳優、監督、作家、作曲家、スキャンダル、全て実在する名称そのままで出てくるし。
(匿名の殺人事件も、特定しやすい特徴が記されていたり)

 映画に詳しくなくても、物語の幹はぶっといからとくに問題ない。
私のように知らないことはそのまま勝手な妄想で進み、気になった部分は後から調べれば、二度楽しい。
 
おしゃれキザ野郎が “映画うんちく” をひけらかしているような小説だったらやだわ、なんて心配もいらない。
坊主熱血野郎(だけど自閉)が映画愛を叫んでいるような小説だから。


登場人物は多くないのに、がやがやと賑やかなイメージが残った。
挙げられた映画の登場人物達が背後にずらーっと顔を出しているせいかもしれない。(透明度30%くらいで)
ものすんごい人数になるけど。



 

 

 
 
  根が優しい。