バンガロール滞在(お供編)

2020.02.21 Friday

 

 

 

 

 

 

 

昨年10月末、パワーズさまの新作の翻訳が出たのでバンガロールへ連れて行った。

滞在先である集合住宅12号棟11階、ちょっと前まで子供部屋として使われていた一室で、トイストーリーズのエイリアンがたくさんプリントされたピンクの布団にくるまって、毎晩すこしずつ続きを読むのが楽しみだった。

6人目の登場人物がインド系少年だとわかったとき「これは私のための小説内現実じゃないか!」と足をバタバタさせた。

そして毎日、大学から自宅まで大きな樹々を見ながら帰った。

 

 

 

「オーバーストーリー」  リチャード・パワーズ   木原善彦 

 

 

 

4つの章(根/幹/樹冠/種子)からなる、樹木についての小説。

最初の「根」では、9人(8組)の登場人物の人生が順番に語られる。

それぞれの人生のなかで生まれた、木との関係性がどれも魅力的で一気に引き込まれていく。

ある者は正面から向かい合い、ある者は意味もわからず引き寄せられ、ある者は長いあいだその存在に気付かない。

「幹」以降、9つの人生は徐々に入り混じり、よじれ、タイトルどうり樹冠のように生い茂っていく。

環境保護(主に原始林保護)をテーマにした群像劇。というありきたりの括りではなんだか物足りない。

もっと奥のほうに、抽象的な何か、皮膚感覚に訴えるような何かがある。

それは一体何なんだろう。

 

今回も例にもれず、パワーズの博識ぶりが惜しみなく披露されているので、これまた必死に追いかける。

なかでも野生の樹木たちが、何万年のあいだ共存のために情報を交換し続けていた(いる)ことに、何度も驚かされた。

さらに樹木の送る時間についての記述はとても印象深かった。

(例えば、装丁になっているセコイヤの樹齢は数百年から1000年以上/photo; Andrew C Mace)

せわしく生きる9人の時間がそこに対比され、読者はおのずと自分の人生の長さについて考えさせられてしまう。

 

さらにパワーズは、登場人物たちに樹木や自然のことを

“より大きく、より古く、よりゆっくりしていて、より耐久性のあるもの”

“地上で最も古く、最も大きな生物”

とたびたび表現させている。

 

樹木に比べたら、あっという間に終わる人間の生命。そのなかで自分勝手に動き回り、ジタバタと争っては浪費し続ける。

このことを強く印象付けることで、環境問題だけではなく、人間の根本的な勘違い(自己中心的な時間の概念)から抜け出そうよ、と、ポジティブな提案をしてくれているように思えた。

 

小説自体の長さもまた、その時間の概念に対するひとつの挑戦とも取れる。

668ページ、610gを読み終えた時、ぼーっとしてすぐに感想の言葉を選べなかった。(無音の世界に放り出される感じ?)

私はそうだった。

彼らの人生と言葉の数々が、徐々に身体のどこかに沈殿するのに要する時間。

なにか規模の大きな提案を読者の身体に確実に染み込ませるためには、それに相当する充分な物語の長さが必要なのではないか。

 

もしかして続きが存在するのでは?

今、彼は続きを書いているのでは? 

 

私のために。  ٩( ᐛ )و

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関連記事 :「幸福の遺伝子

 

Kubelko Bondy

2019.11.22 Friday

 

まずタイトルだけ切り抜いてみても、いい言葉だなと思う。

苦笑いしたくなるような、ふと遠くを見てしまうような。

そこに何やら、かすかな温度を感じるのは私だけだろうか。

「悪い」と言いながら、そんなに悪く思っていない感じ?

自分の思い出に合わせて、どうぞ「男」か「女」どちらでも。

 

「最初の悪い男」 ミランダ・ジュライ  岸本佐知子 訳

 

 

彼女が監督・主演した映画はたぶん1本しか見ていないと思う。

なのにこの人が書いた小説を読み始めると、どれも主人公がミランダ・ジュライ本人になってしまう。

一度頭の中にその映像が流れたら止められない。

本人以外の主人公を思い浮かべるのは難しい。

とくにこの作品は著者にとって初めての長編小説なので、おそらくこれまで以上に “本人度”  を高めに書き上げたのではないか。と勝手に推測している。

ページ的な長さと登場人物たちが過ごす時間の長さ、両方が相まって、読了したときには映画館でがっちり1本観たあとのような感覚が残った。

それはそれは楽しい時間だった。

 

 

妄想癖のある40代の中年独身女性が、現実のなかで妄想を超える出来事に遭遇し、人生がひっちゃかめっちゃかになっていくストーリー。もし映画だったら多種多様な効果音を駆使しなければならないような場面の連続。

途中読者としてヒヤヒヤしたものの、最後にはわたし好みの着地をしてくれた。

たくさんのオモロ切ない場面のなかでも、クベルコ・ボンディ(9歳のときに出会い生き別れとなった運命の赤ん坊。←もちろん妄想)のくだりが好きすぎる。

これを読んだ春以来、私も姪っ子のことを心のかなで呼んでいる。

 

わたしのクベルコ・ボンデイ・・・。       (自分で打っててちょっと怖い)

 

クベルコ・ボンディについて考えていたら、オーエン・ミーニー(「オウエンのために祈りを」ジョン・アーヴィング)のことを思い出した。

 

突拍子もない出来事が次々起きてこちらを苦笑させ戸惑わせるのに、実は主題が壮大で超がつくほど真面目。

で、

「ああそうだった。現実って突拍子ないことだらけだった。」

と読んだ後もじわじわさせる。

 

そこがアーヴィング作品に似ている。

だから好きなのかもしれない。

いや、ただわたしが自分の好きな作家を無理やり繋げようとしているだけかもしれない。

…とかなんとか好きと好きが繋がるかもしれないふふふふとぼんやり考えている時間が最高。

です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年はこの人のユニクロTシャツたくさん着た

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野にある生

2019.08.08 Thursday

 

自分の体調が優れないとき、一番食べたい物を食べることが何よりの滋養になる。

と、聞いたことがあるような、無いような。

 

体調は普通だけど、頭のなかが “目詰まり” してしまっている今の私には、

ジャック・ロンドンの作品が何よりの滋養になっている。

読んでいるあいだは

「ほれ、食え。」

と、彼に与えられた生肉をワシワシ食らう大型犬になった気分。

なのに読後は心身が身軽になって清々しい。

この感覚をどう説明したらいいかわからない。

 

100年以上前に書かれた彼の名作群は膨大で、短編だけで200を超える。

全てが翻訳されているわけではないけど、

ずっとこの先も、未読を探しながら追い続けられることが嬉しい。

 

さて、どの順番で出会うかはお任せします。

大丈夫、呼び声が聞こえるはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

(´-`)。oO(柴田さんに全作品翻訳してもらいたい...)

 

 

 

 

 

 

 

母娘もの

2019.07.20 Saturday

 

 

 

 

 

先月、Satnta Rosaから母親が帰国したので数日間一緒に過ごした。

彼女があちらに住んで、もう30年以上は経つ。
はたして”帰国”をどちらの国に対して使うのが相応しいのか私にはよくわからない。
こうした母親と私の関係は、とっくの昔に映像作品の素材にし、賞までいただいているので誰かに話すこと自体とくに気にしていない。

と、ドライな口調でいられるのはここまで。

 

実際に一緒に過ごす間は、毎回、相手のありとあらゆることが気になって本当に心身にこたえる。

前回会ったのは私が彼女の家に行った2年前。
あれ、こんな感じだったっけ?
会う度にそう思う。
おそらく向こうも同じようにシンドイはずだ。
短い時間で相手を理解しようと努力するエネルギー。それが低下している。
仕方ない。私たちは中年と老人になったのだから。

時間は進む。じりじりと確実に。
そして、相手のなかに己を見つけるたび・・・ (se:戦慄)

 

 

そんな時間を過ごすなか、私はこの母娘の会話シーンを思い出そうとしていた。
自宅に帰ったら再読して心身を整えよう、と。

 

「私の名前はルーシー・バートン」  エリザベス・ストラウト   小川高義 訳(2017)

 

最初に読んだのは昨年で、原書を読んでから翻訳を読んだ。
私の英語力ではちょっと面倒だったけど、前作(オリーブキタリッジ…)のファンだったのでつい欲張った。
でも会話のシーンが多いから、ガイブン好きの方は是非挑戦してみてほしい。
原文と翻訳を突き合わせて読むと勉強になります。(悪口の部分など)

 

ざっくり言うと、主人公・ルーシーの回想形式の小説。
ルーシーが入院する病院へあまり仲のよくない母親が見舞いに来る。
そこでのふたりの会話を起点に、回想場面が次々に入れ替わっていく。
子供の頃の記憶から、過去の恋人との会話、自分の夫と娘とのこと、小説家としての矜持・・
静かで細やかな描写で語られるルーシーの記憶と、いい加減で雑な自分の記憶とが絡みあって錯覚を起こす。
あ。これ知ってる。ってなる。
波乱万丈とはまでは言えない彼女の人生に、何度もグラグラさせられる。
とくにルーシーと母親との会話に潜む緊張感は、母娘ならではのもので共感のあまり溜息が出る。
そう、つくとスッキリするほうの溜息。

 

はい。
おかげさまで、今週あたりやっと整い終わった感じ。
今ごろ向こうも同じはず。

 

 

 

さて。

 

 

 

 

 

“全”の”米”は一斉に泣いたりしない。そこがいいところ。(私見)

 

 

 

 

 

 

 

不可視

2018.12.16 Sunday

 

「インヴィジブル」 ポール・オースター 柴田元幸 訳 (訳2018/原2009)

 

ソール・ライターをカバー写真に使ったポール・オースターの小説。
ちょっとキメ過ぎな感じもするけど・・・か、かっこいい。降参。

 

れこまでの作品よりギアを上げているような印象。
会話の鉤括弧が無いせいか、サスペンスの色が濃いせいか、体感速度が速いように感じた。
そしてやっぱり読者は小説内で時空を移動させられるので、
これから読む方は期待に胸を膨らませ、気を引き締めて挑んで欲しい。
走り出したら止まらない。

私はまだ身体に揺れが残っていて落ち着かない。

 

これが9年も前の作品。
じゃあ、今は何を考えているんだろかと、最新作がとても気になる。

 

私の「柴田ファイル」(柴田元幸氏のトークイベント等で摂ったメモ集)には、

2014年の日付で
“ インヴィジブル → ムーン・パレスの暗い版 ”
とあった。


これは柴田さんが発した言葉だからネタバレではない。
よね?

 

 

 

 

うっすら漂うGothみ。