記念の号外

2017.10.05 Thursday

カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した。
ファンとして、とても喜んでいる。
じーん。

 

でももう一昨年のように講演会に行く(当選)するのは難しくなるのだろう。
そう思ったら寂しくなってきた。
数メートル先にいたのに。
しょぼん。

 

あ、でも、やっぱ、嬉しいや。 (どないやねん)

 


ちなみにこのブログで過去に紹介したのはこの3作品だけど

全部の作品を読んでもらいたい。

そして私とイシグロ談義いたしましょう。

酒場で待ってます。

 

『忘れられた巨人』

『充たされざる者』

『浮き世の画家』

 

 

夜なのでこのへんで。

とりいそぎ、記念の号外でした。

 

おやすみなさい。

 

 

 

鳥の名は・・・

2017.04.04 Tuesday

 

去年の春ごろ、いわゆる電子書籍リーダーを買った。

きっかけは絶版になった本が、電子書籍になっていたから。
一年ほど使って便利に感じた点は、

暗い部屋でも明りを気にせず読めるところ。
他の荷物との摩擦を気にせずポイっとリュックに放り込めるところ。
絵の具や削った粉が付いても、ちょっと拭けば済むので作業場でも気楽に使えるところ。
あとは、海外滞在中の「なんか読みたいなあ」に対応してくれるところ。


昨年の中国成都での滞在には、電子書籍リーダーと文庫本を3冊ほどを持参した。
この3冊は読んでは誰かにあげ、また古本屋で買って、またあげて・・・というお馴染みのメンツ。
今回も帰国する直前、通訳の女子大学生Sさんに全部差し上げたら、
「りさ!わたし!しあわせです!」と言って受け取ってくれた。
私がその本を初めて読んだのも大学生時代だったことを思い出し、なんだかこちらもしあわせになった。
(ちなみに彼女は私が「バカ殿」の声真似をすると、顔を真っ赤にして涙をにじませ笑う。)

 

成都滞在も半分が過ぎた頃だったか、
文庫本を読み終わってしまった私は、試し読み版「ゴールドフィンチ/ドナ・タート」をダウンロードしてしまった。
そこから夜な夜な・・・1巻ポチ、2巻ポチ、3巻ポチ・・・
・・・気がつけば5,000円ちょい。きゃー。

 

「ゴールドフィンチ」とはカレル・ファブリティウスによって描かれた絵のタイトル。
つまりこの絵と、この絵に魅了された主人公テオの壮絶な物語。
「ゴールドフィンチ」とファブリティウスに関するエピソードはもちろん、

美術館や家具修理の作業場などの空間の描写も読みどころのひとつ。
私はよく小説や映画に「アート」が出てくるたびに、気持ちがザワザワしてしまう。(しませんか?)
でもこの小説は読み始めてすぐに、このザワザワは消え去った。
とくに終盤、画家と絵についてのテオの語りは何度か読み返したほど。
スゥーーーンという気持ちにさせてくれる。

 

ということで
成都での熱帯夜の記憶には、雪のNYとラズベガスの砂漠のイメージが混ざり合っている。

 

 

 

でもやっぱり電子書籍は実像がないのがどうも寂しい。
ひとくち食べて美味しいものは齧った断面を見たい。
美味しいお酒の色にも見とれたい。

新刊の甘いにおい。
古本の酸っぱいにおい。

ブックカバーの折ったりつけたりはずしたり。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

はいはい、適宜お好きなように。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画脳

2016.05.17 Tuesday


ひと月以上前に読み終わってるけど、まだ机の隅に置いたままにしてある。
ふとした時に、パラパラと開いては登場する映画監督の名前などを検索するためだ。
5月のカラリと晴れた日に、そんなことをしていると、いつも自宅の窓から見下ろしている通りが
L.A.のサンセット通りに見えてくるのだ。(嘘です)
 

「ゼロヴィル」スティーヴ・エリクソン 訳)柴田元幸
 

1950年生まれのS・エリクソンによって描かれた、1945年生まれのヴィカー青年の物語。
1969年、24歳になったヴィカーがロサンゼルスに到着するところから始まる。
「映画自閉症」である彼は、頭に『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーを刺青している。
誰かと出会うたび、頭の刺青に不本意なツッコミを入れられつつ、やがて映画業界の異端児として注目されてゆくヴィカー。
しかし彼を抑圧していた過去の記憶がしだいに。。。
 

ヴィカーの(S・エリクソンの)映画脳を通して、当時のロサンゼルスの映像を見せてもらっているようだった。
登場人物たちが語る無数の映画に、その情報量に圧倒される。
各映画そのものを語り合っているだけじゃなくて、喩えとして、世相として、形容詞として機能しているから、
すみずみまで知りたくなってしまう。
何しろタイトル、俳優、監督、作家、作曲家、スキャンダル、全て実在する名称そのままで出てくるし。
(匿名の殺人事件も、特定しやすい特徴が記されていたり)

 映画に詳しくなくても、物語の幹はぶっといからとくに問題ない。
私のように知らないことはそのまま勝手な妄想で進み、気になった部分は後から調べれば、二度楽しい。
 
おしゃれキザ野郎が “映画うんちく” をひけらかしているような小説だったらやだわ、なんて心配もいらない。
坊主熱血野郎(だけど自閉)が映画愛を叫んでいるような小説だから。


登場人物は多くないのに、がやがやと賑やかなイメージが残った。
挙げられた映画の登場人物達が背後にずらーっと顔を出しているせいかもしれない。(透明度30%くらいで)
ものすんごい人数になるけど。



 

 

 
 
  根が優しい。






 

スパイラル30周年

2015.11.08 Sunday

今年、青山スパイラルが30周年を迎えた。
あらためて、おめでとうございます。

スパイラルに初めて訪れたのはいつだろうか。
たしか大学在学中、何かのコンペに落選して作品搬出する帰り道、
車を運転してくれていた父と寄ったのが最初だったような気がする。
「あ・・青山だなあ。」と、埼玉の親子はつぶやいたのであった。各自、頭の中で。

大学卒業後、さまざまなお仕事に関わらせていただいた。
最初はARCUS・・・あれから16年!
私も胸を張って作家活動30周年を迎えられるよう、日々を過ごしたい。


で、30周年パーティーの招待状には、引換券が入ってた。
その引換券で、過去のSpiral Paperの記事を抜粋し収録した全672ページの
「Spiral Paper no.139 特別号」が頂けるとのこと。

これは絶対パーティーに行かねば。と思っていたのに叶わず。(なんと不義理!)
結局「大変図々しいお願いなのですが・・」と、後日頂いた。(ほんと図々しい!)
ありがとうございます。

Spiral Paperには、6号も10号もalienも掲載して頂いたので、思い出も多い。
なかでも「阿部ちゃん、何かついているよ」という作品は、特別な感触があった。
制作から撮影、印刷、配布までの時間があっという間で、とても気持ちがよかった。
ふだんの立体制作では味わったことのない、爽快感があった。

ただいま、ホームページのリニューアルが継続中。
この「阿部ちゃん・・」をどうやって載せるのがいいのかなあ。
と、ここ数日考えている。
 





非売品とはもったいない。


・・・と、思ったらなんと!頂けるらしい!
こちら





 

記憶の記憶(おまけ)

2015.09.23 Wednesday

 



そういえば。
 
2013年、Port Jurneyに参加することになりメルボルンに2週間ほど滞在した。
滞在中、宿泊していたシェアハウスと活動拠点にしていたWest Spaceとを毎日往復していた。
75番のトリムで「Riversdale Rd」から「Russell St/Flinders St」まで。片道約30分。
 
その移動時間で読んでいたのが『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(著・近藤史人)だった。
たぶんその時期に受けていた、村田真さんの近代日本美術史の授業(@chap)が影響して、古本屋で購入したのだと思う。
 
メルボルンのトリムに乗りながら、パリに渡った日本人のノンフィクションを読む。
前半は自分がかつてパリに滞在していたころを思い出し、狭く騒々しいあの独特の空気を懐かしんだ。
ふと、本から顔を上げれば目の前にはメルボルンの街並。
「ここどこだべ?」と思う。
なかなかのこんがらがり具合が楽しい。

しかし後半以降は、戦争画とそれに翻弄された人々の苦悩が続く。
読んでいるあいだ息苦しく、自分の眉間に皺が寄っているのがわかる。
そして藤田の晩年の沈黙。
夜更けのメルボルンのトリムで、パリの暗く刺さるような冬が蘇った。


メルボルンから帰国後、しばらく経ってイシグロの『浮き世の画家』(訳・飛田茂雄)を読んだ。
当時は主人公である小野と藤田のイメージがかぶり、そのことばかりに意識がいっていた。
けれど去年、もう一度読んでみたら読み終わった後の感触がだいぶ違った。
 
前回はそうでもなかったのに、小野の自分の記憶を探るときに語る言葉が妙に引っかかり、
たびたびイラっとなる。
人が自身の過去を語るときのいい加減さ、調子のよさ、残酷さが細かく描かれていて、
まるで大きな姿見を向けられているような、居心地の悪さを強く感じた。
小野がやってきた内容よりむしろ、小野の語りそのものが読みどころとなった。
 

帰化したフランスで自分を追い出した日本を思う藤田氏。
幼少期に移住したイギリスで日本を描いたイシグロ氏。
二人の想像を想像してはいい加減に記憶する私。

各自、異邦人について想像力を総動員。
それだけが共通の体験。