メダムK (その6)

2011.11.07 Monday

 

昨日やっと撮れました、このアングル。

リュクスなムードで待機中です。

 

Medamu 2

 

Medamu 1

 

 

驚くべき納まりの良さ。

 

 

メダムK その5

2011.10.28 Friday

 


いよいよ今年の黄金町バザールの会期も残すところ10日となりました。
メダムKとのお別れのときが近づいています。
10月16日から始まった共同作業 ”Golden Hour"も、あと2回。

10月30日と11月6日 14:00~16:00。
おひとり3分ほどで終ります。気軽にお立ち寄りください。

こうしてみなさんと一緒に手塩にかけて...展覧会終了後、メダムKはどこに行くのでしょうか。
星のみぞ知る。


お待ちしております。



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入れ過ぎてしまった塩は、そう簡単に抜けません。気を付けて。    マダムR


 


メダムK (その4)

2011.10.17 Monday

 


(→つづき)


そんなことを思い浮かべながら制作に入った。


自分が勝手に溜め込んだ妄想をカタチにしただけだとしても、やっぱり黄金町ではデリケートな口調になってしまう。「過去を賞賛しているんじゃ?」と勘違いされたりもする。仕方がない。でも私のほうも、いつも本気で「わからない」し、「迷って」いるし、ひとつも結論持ちあわせない作家としてやってきたのだから仕方がない。できる事があるとすれば、妄想の力を借りて物事の見方や考え方、迷い方のバージョンをひとつ増やすことぐらい。(...つっても簡単なことじゃないけど)


デリケートなテーマなら、面倒くさがらずデリケートに持ち運び続ければいいわけで。


 


マッシブであること、すべて手縫いであること、触れる・乗れる仕様であること。そこらへんにこだわったのも、本気モードのあらわれ。「か〜わ〜い〜?」と一蹴されないようなサイズにする。というのも重要だった。そうやってだんだん具体的な要素が出始めてくるときって、すごく楽しいんだよね。明け方、車道を自転車で飛ばしてるときみたいだよ。


大モノを作るときは必ず「触れられる」ことを考える。だって、自分が触りたいし、抱きつきたいから。自分が触りたいものを作って「うわぁ、やっぱいいわぁ」と自画自賛して、次に他の人にも触ってもらって「どう?いいでしょう?」とニヤニヤする。そう、自慢。


「触れる」って行為は、全ての人に公平な気がする。なんだか広々してる感じがいいじゃん。


 


ここまで書いてはみたものの、作家の言葉なんて完全に飛び越えちゃう作品でなければならないの。ぱーん!と。


私の意図しないところで、見た人それぞれの体内で何かが新しく始まったらいい。勘違いも、思い過ごしも、それが圧倒的ならいいよね。


いずれ作家の言葉は消えて、身体も消えて、作品だけが残る。   はずだから。


 


どうでもいいけど、はやく見にきなさい。


 


おやすみ〜。



 



 


(おわり)


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入り口広く、出口は狭く。     ...出口があったらの話だぜ。


 


 


メダムK (その3)

2011.10.13 Thursday

 


(→つづき)


まず私にとっての娼婦像の大部分は、読んできた小説や見てきた映画から出来ている。そこでの彼女達は出番こそ少ないけど、股で俗世を読み取っているがごとく達観していて、どっしりと頼もしい。例によって生きることに迷い悩んでいる主人公たちは、彼女達や彼女達を取り囲む環境に触れ、何かを学び取り、地べたを這うようにほんの少し前進する。物語のなかで語られる、そういった彼女達の役割を、“癒し”で片付けてしまうには、あまりにも平べったくて味気ない。かといって適当な言葉がまだ見つかっていないのも事実。引き続き探してみるけどね。今は“やわらかい影”って言葉を使って説明したりしてるんだけど。悪くないよね。「高架下の陰に潜む、やわらかい影」


言っておきたいのは、いま話した娼婦像はあくまでもフィクションの世界から取り出してきたソースで、それがそのまま黄金町にも当てはまるとは思ってないし、リサーチして証明しようとも思わない。娼婦という職業を俯瞰して見ようとしたときに、想像し得る、ひとつのちいさな側面。その側面を拡大解釈しようと思ったってこと。


 


あと、パリのとなりモントイユに住んでた頃、何度か中国系娼婦に間違えられた。そのとき感じた、この職業の日常性。フランス人の友人が言うには、彼女達はノーメイクにTシャツ、ジーンズ、サンダル、長い髪をひとつにしばって、街を歩き回りながら客を引きするのが常らしい。私まったく同じ格好してた。


メトロの中やお店の中で値段を聞かれたときは、相手の表情や言葉が迫ってくるようで、すごく怖かった。でもそれより怖いのは自分の?気さ。だって、それがある種の交渉だと解るまで「あれ?ワシ、ナンパされてるのん?」とか思っちゃってるんだから。世界基準わかってないって、怖いよ。


 


最後にもうひとつ。昔、海外で各国の風俗を回っているっていう人に会った。その人が彼女達との行為を「深い森」とか「海での素潜り」に喩えてたの。実はこの言葉、前からずっとひっかかってて、たまに思い出すんだよね。だから模型の段階から、それも盛り込んじゃった。いま、展示されている現物の「メダムK」もこれから11月6日の展示終了に向けて、大自然へ昇華させてやろうって企んでる。


「夜の空」に。


 


(つづく→)


 


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球とは超多面体なのか、超多点体なのか。    どうでもいいか。寝てしまえ。


 


メダムK (その2)

2011.10.11 Tuesday

 


作品のコンセプト文を書くのが嗚咽するほど苦痛です。
という理由から、以前記者会見で試した手紙形式コンセプト(“player alien”2005)は、ストレスを極力抑えつつ伝えることができました。今回はさらにゆるく、友人に宛てたメール風で書いてみます。ところどころ言葉遣いが荒い部分もありますが、ライブ感だと思って受け流してください。


 


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6月初旬に2ヶ月間のフランスレジデンスから戻って、6月中旬に「黄金町バザール2011」の初打ち合わせ。そこでは展示場所の候補や通勤制作できるスタジオについての話をしたくらいで、私も具体的な作品プランはまだなかったよ。


フランスレジデンスでもそうだったけど、このときも猛烈に手作業を欲していたんだよね。もう、それは個人的事情としか言えないや。震災も関係しているだろうし、その前から続く個人的な何かがあったかもしれない。というか、過去形じゃなくていまだに続いているんじゃないかな。わかんないけど。でももうそのままの自分でやるしか、生きるしかないよね。良くも悪くも誤摩化せない。


環境云々の前に、作品のコアはそのへんにあるんだと思う。


 


6月末に展示場所(高架下空地)のロケハン。聞いていたよりだいぶパンクというか、“鉄男”的というか、世紀末的というか...。それが最初の印象。柱。鉄板の囲い。どれも取り除くことはできない。柱には何も触れてはいけない。隙間産業にいる私が挑む、マジの隙間構想。


結論としては、そんなんも全部ひっくるめて魅力的なロケーションだなって思った。来年にはもうなくなっちゃう場所だし。


ただあの構造物を思うとね、わかるでしょ?あの存在感に自分の作品が打ち負かされるところを想像しただけで胃がキリキリする。そんな緊張感ってなかなかないよ。


で、何よりいちばん重要な要素はその場所にかつて特殊飲食街が密集していたってこと。


 


「メダムK」のメダム(Mesdames/Mmes.)はマダム(Madame)の複数系で、ミセス(Mrs.)の複数形としても使われる。Kは黄金町のK。つまり黄金町で働いていた女性達を指したタイトル。


でも実際、私が黄金町を訪れたのは去年が初めてで、彼女達に関する知識なんてほとんどない。つい最近まで続いていたのに見たこともなければ、会ったこともない。人づてに当時の話を聞くのがせいぜい。


そう、ここもやっぱり、そのまま今の自分でアプローチをするしかない。これこそ誤摩化せないし。


で、高架下の30分の1の模型を作りながら考えて、ぽつぽつでてきたこと。


 


(つづく→)


 


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“メールを宛てた友人”さえも、妄想です。